信長革新・s1最上家リプレイ。その16。天下一統、為る。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-715.html
旧本願寺家臣団から、細川忠興、浅井長政、蒲生氏郷、下間頼廉を登用。
1598年春。
東日本に敵がいなくなったところで管領就任。
…ん?でも将軍っているのか?足利幕府って続いてるの?
む?早くも氏郷がゲホゲホ言ってる…坊主に使われて気苦労があったんだろうなぁ…。
昌幸を関東管領に任じ、新軍団設立。下間隊も設立。
む?大友から要請が。
「府内館を攻撃してくれ」
ううむ…そこは我が家が狙ってるのに…。着々と勢力を伸ばすなぁ、大友家。しかし断ることも出来ず承諾。九州駐留の伊達隊を向かわせる。
そして九州に向けて七尾からあらかた進発していった後、城の修復が進むも、まだ戦いの名残が生々しく残る城内の片隅で、義光の命を受けた正純、義、沼田らがそれを執行する。
裏切り者、那須・武田豊・蠣崎季・須田・山村・富田…処断。
その頃四国。
本願寺攻めに参加していなかった幸村は能島港攻略戦。
丁度港の防御を破壊し、丸裸になったところに入港する部隊が。かまわず騎馬アタックコンボをぶつけて、制圧。
さて…捕虜検分するか…って、なにしてんの?島津義弘??
もしかして最後に入港してきた部隊って…。なんという、飛んで火に入る夏の虫…。
逃げ出される前に、処断。島津豊久も処断。
府内館。
大内家が一部隊で攻めるが、鉄砲櫓に撃退される。
伊達隊は一撃加えただけで帰還。やる気無しw
そして大友からの要請期限が切れると同時に、北陸から転進してきた部隊で府内占領。大友には渡さないw
そのまま九州の島津領(東半分)を大友の手に渡る前に占領。
四国、島津から奪った安宅船で今治に突っ込む。いやぁ、安宅船って頑丈だなぁw
1599年夏。
一年を残していきなり大友が同盟破棄を申し出てくる。
まぁ仕方ないよね、東九州を抑えて大友の発展性を完全に封じ込めてるのが我が家だもんなー。
ここで三度目の包囲網。
ここまで来ると、巨象に立ち向かうハエを払う状態になります。織田、島津の連続攻撃も、もはや意味を持ちません。
そっちは無視して九州殲滅計画を続ける。
大友の本体は人吉に50000。しかし、もはや我が家の敵ではありません。立花隊の抵抗も虚しいところ。
当主大友宗麟は人吉で敗れた後、坊津にいた。
真田昌幸隊20000が激しく攻める中、義光が降伏勧告に赴き、調伏。
九州制覇、ここに為る。
1599年、坊津の宗麟説得の帰途、征夷大将軍推任を受ける。隅本で使者を迎える。
晴れて、敵対する織田・島津を朝敵として征伐することになる。
とは言っても、ここまで来ると戦力差がつきすぎてなぁ。
四国は既に今治を確保しているので、そこから織田湯築城攻め。
しかしまぁいくら落日とはいえ、織田軍は強いね。城に籠もった時の鉄砲の威力は半端じゃない。
家康隊は気がついたら2000切るまで減らされてるし。
兵が減った部隊は今治に撤退させてそこから再出撃させたけど、今治に用意した30000の予備兵がガッツリもってかれてる…
織田鉄砲隊と援軍に来た島津鉄砲隊の威力スゴス。
それでも今治の予備兵力を食い尽くして落城へ。
黒瀬城は鉄砲櫓武装か…こういう時はあれです。人質全解放。財政的に奴らを追い込みます。
鍋島直茂を呼び寄せ、将軍親征です。隅本から四国へ。
1601年、四国制覇。やっぱり長宗我部は弱かった…。
残りは姫路と岡山に。
ここでやることは、たまりに溜まった49名の織田捕虜を全解放♪
金銭終始が-80000近いナイスな状態にw
島津最後の城を攻めてると、山中鹿之助、加藤清正まで仕官を願い出てきたw うはw 織田軍崩壊しすぎwww
下津井に島津を追い込み勧告。島津家、滅亡。
1602年、幕府親征軍、最後の出陣。
姫路城に籠もる織田家家臣14人。
最盛期は150人を越えていた家臣団も、既にその姿は無く。
城攻めの最中にも浅野長政、母里が仕官に来る。なにか虚しい…。
戦法発動の際、城主信長を「老いぼれ」呼ばわりする幸村と政宗。時代は変わった。
ED。
重臣役:家康
茶室:義、北条景(なんで?w)、家康(一乗谷水攻め)、幸村(岸和田土竜攻め)、昌幸(一夜城)
ちょっと反省会。
今回の勝因は、織田との戦いの最初期に秀吉処断。
藤堂高虎、鈴木重、小早川隆景、大谷吉継、義昭将軍、秀長を捕獲して返さない期間が長かったあたりが勝因といえば勝因かもしれない。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-715.html
旧本願寺家臣団から、細川忠興、浅井長政、蒲生氏郷、下間頼廉を登用。
1598年春。
東日本に敵がいなくなったところで管領就任。
…ん?でも将軍っているのか?足利幕府って続いてるの?
む?早くも氏郷がゲホゲホ言ってる…坊主に使われて気苦労があったんだろうなぁ…。
昌幸を関東管領に任じ、新軍団設立。下間隊も設立。
む?大友から要請が。
「府内館を攻撃してくれ」
ううむ…そこは我が家が狙ってるのに…。着々と勢力を伸ばすなぁ、大友家。しかし断ることも出来ず承諾。九州駐留の伊達隊を向かわせる。
そして九州に向けて七尾からあらかた進発していった後、城の修復が進むも、まだ戦いの名残が生々しく残る城内の片隅で、義光の命を受けた正純、義、沼田らがそれを執行する。
裏切り者、那須・武田豊・蠣崎季・須田・山村・富田…処断。
その頃四国。
本願寺攻めに参加していなかった幸村は能島港攻略戦。
丁度港の防御を破壊し、丸裸になったところに入港する部隊が。かまわず騎馬アタックコンボをぶつけて、制圧。
さて…捕虜検分するか…って、なにしてんの?島津義弘??
もしかして最後に入港してきた部隊って…。なんという、飛んで火に入る夏の虫…。
逃げ出される前に、処断。島津豊久も処断。
府内館。
大内家が一部隊で攻めるが、鉄砲櫓に撃退される。
伊達隊は一撃加えただけで帰還。やる気無しw
そして大友からの要請期限が切れると同時に、北陸から転進してきた部隊で府内占領。大友には渡さないw
そのまま九州の島津領(東半分)を大友の手に渡る前に占領。
四国、島津から奪った安宅船で今治に突っ込む。いやぁ、安宅船って頑丈だなぁw
1599年夏。
一年を残していきなり大友が同盟破棄を申し出てくる。
まぁ仕方ないよね、東九州を抑えて大友の発展性を完全に封じ込めてるのが我が家だもんなー。
ここで三度目の包囲網。
ここまで来ると、巨象に立ち向かうハエを払う状態になります。織田、島津の連続攻撃も、もはや意味を持ちません。
そっちは無視して九州殲滅計画を続ける。
大友の本体は人吉に50000。しかし、もはや我が家の敵ではありません。立花隊の抵抗も虚しいところ。
当主大友宗麟は人吉で敗れた後、坊津にいた。
真田昌幸隊20000が激しく攻める中、義光が降伏勧告に赴き、調伏。
九州制覇、ここに為る。
1599年、坊津の宗麟説得の帰途、征夷大将軍推任を受ける。隅本で使者を迎える。
晴れて、敵対する織田・島津を朝敵として征伐することになる。
とは言っても、ここまで来ると戦力差がつきすぎてなぁ。
四国は既に今治を確保しているので、そこから織田湯築城攻め。
しかしまぁいくら落日とはいえ、織田軍は強いね。城に籠もった時の鉄砲の威力は半端じゃない。
家康隊は気がついたら2000切るまで減らされてるし。
兵が減った部隊は今治に撤退させてそこから再出撃させたけど、今治に用意した30000の予備兵がガッツリもってかれてる…
織田鉄砲隊と援軍に来た島津鉄砲隊の威力スゴス。
それでも今治の予備兵力を食い尽くして落城へ。
黒瀬城は鉄砲櫓武装か…こういう時はあれです。人質全解放。財政的に奴らを追い込みます。
鍋島直茂を呼び寄せ、将軍親征です。隅本から四国へ。
1601年、四国制覇。やっぱり長宗我部は弱かった…。
残りは姫路と岡山に。
ここでやることは、たまりに溜まった49名の織田捕虜を全解放♪
金銭終始が-80000近いナイスな状態にw
島津最後の城を攻めてると、山中鹿之助、加藤清正まで仕官を願い出てきたw うはw 織田軍崩壊しすぎwww
下津井に島津を追い込み勧告。島津家、滅亡。
1602年、幕府親征軍、最後の出陣。
姫路城に籠もる織田家家臣14人。
最盛期は150人を越えていた家臣団も、既にその姿は無く。
城攻めの最中にも浅野長政、母里が仕官に来る。なにか虚しい…。
戦法発動の際、城主信長を「老いぼれ」呼ばわりする幸村と政宗。時代は変わった。
ED。
重臣役:家康
茶室:義、北条景(なんで?w)、家康(一乗谷水攻め)、幸村(岸和田土竜攻め)、昌幸(一夜城)
ちょっと反省会。
今回の勝因は、織田との戦いの最初期に秀吉処断。
藤堂高虎、鈴木重、小早川隆景、大谷吉継、義昭将軍、秀長を捕獲して返さない期間が長かったあたりが勝因といえば勝因かもしれない。
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信長革新・s1最上家リプレイ。その15。鳥取で桶狭間!?
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-705.html
既に滅亡寸前の信長なのに氷の判断力で我が軍の穴を突いてくる。
鳥取城は10000しか兵がいないのだ。
しまった!と思ったが、我が軍の中核部隊は西にいる。そこからの転戦では間に合わないかもしれない。
そこで義光考える。
ここは儂が行くしか!
止める本多親子を振り切り、23000の兵を持って鳥取城救援に向かう義光だったが、これがあんなことになろうとは…
最速で鳥取城に着いたのは、信長と信包隊、そして義光隊しかいなかった。
島津も、我が軍配下の精鋭達もいない、信長と義光のマッチアップが鳥取で起こるとは…
包囲網の罠か。
信長隊は上手く、信包と義光の間に割って入り、弱い部隊からの各個撃破を許さない。
対信長であれば、こちらの戦法は通じず、かといって通常攻撃でガンガン減らせるほど甘くない。
城の防御はジリジリへっていくが、信長隊の兵数もジリジリとしか減らない。
これは…落とされる!
覚悟した義光だったが、それはそれ、裸城となったらこちらから逆に攻勢をかけてやればよい、と目論んでいた。
案の定城は落ちた。
しかしここからは儂のターン!…と思っていたのに、思い通りに行かない!
それは死の深志城でも経験した信長パターンの発動だった。
頑強な福島隊を城の全面に置き、信長自身は遊兵として奇襲を盛んにかける。その奇襲が成功すると、部隊は混乱し士気がグッと下がり、戦闘能力が著しく低下してしまうのだ。
しかもうまいこと背面を山に押しつけられ、撤退も出来ないポジションに追い込まれる。この用兵は巧みすぎる!
こんなところで儂は今川義元になるのか!?
義光最大のピンチ!
城を一つ島津にくれてでも忠勝隊を連れてくるべきだった…。
死に際の走馬燈状態の主君をほっといて、奮戦する勝頼と信繁。壊滅必至の流れ、士気メーターの色がだんだん赤くなりながらも驚異的な粘りで持ちこたえる!
そしてようやく!
長く、異様に長く感じた時を越えて、本多隊を先頭に我が軍の精鋭達が救援に来た…
た、助かった…
織田軍に捕縛される寸前で、義光、なんとか救出される。
死ぬかと思った…。
なに?福則を捕らえたとな!?
検分じゃ、ここに引っ立てぃ!
縄をかけられ義光と重臣達の前へ連れ出される正則。だがその眼光は、未だ戦場にあり。
「・・・・・・・」
何か陳腐な言葉をかけるのも無粋と言うべきか。北陸、敦賀、鳥取…。いずれの戦いでも、お主の勇猛さを鮮烈に思い出される。勝った時、負けた時、追いつめられた時…。
義光、無言にて、検分の場を去る。
福島正則、処断。
一方下関。
40000の島津艦隊が襲う。
対処に当たる幸村隊と景勝隊は騎馬アタックコンボ発動専用の戦法選択。
安宅船に鉄砲と大筒を積んでくる島津には、港防御で勝ち目がない、と見て、防衛を放棄。
陸に上がったところを仕留める算段。
予定通り島津進軍、ロクに兵もいない港を落とす。
フフフ…さて騎馬アタックの餌食になって貰うか!と思ったら、なんが兵がガンガン減る!うは!大筒痛ぇ!
こりゃ早めに全員陸に揚げて対処せな!と戦略的後退。
敵の数が多かろうと、闘志さえ溜まってしまえばこの二門の人間大砲・幸村&景勝は強力!
島津の騎馬鉄砲を粉々に粉砕する!
しかし、島津も城郭内に鉄砲隊を配置するため、港の兵が尽きる→安宅船で海上へ逃げる鉄砲隊→弓では話にならないので港から全退去→島津軍再占拠→騎馬アタック…を2,3回ループする。
ようやく尾張が見えた頃に、島津義久隊の奇襲が決まる!
ヤバい!士気下がる!
超絶騎馬コンボの戦法選択で鼓舞を取ってこなかった失敗!この部隊には士気を上げる手だてがないのだ!
山口館にも駐留武将はいない!
士気が下がりきるか、殲滅が早いかの競争になる!
信長のように何回も奇襲をかけてこられたら、士気低下で景勝隊消散すらあり得る!
しかし、そこはさすがに港湾施設。いったん闘志が溜まりきれば、幸村隊の騎馬コンボでごっそり兵を持って行ける!
勝利!下関会戦で島津に勝った我が軍はほぼ瀬戸内海の制海権を握ることが確定的になった。
…いや、でも逆に言えば、あそこで幸村隊の戦法を封じられれば危なかったかも…。
思い返せば薄氷の勝利であった。
そして北陸。
対島津艦隊戦に将を割けなかったのは、(兵と馬が近場で揃わなかったというのもあるが)このためでもある。
地獄の北陸戦線、最後の戦いである。
残る拠点は七尾城のみ。
織田の遺産たる北陸の兵と馬を惜しみなく使い、
新司令真田昌幸率いる輪島北陸方面軍も、出せるだけ惜しみなく出陣させる!
もうこの後に敵はない!
あるのは目の前の勝利のみ。
坊主どもを皆殺しだーッ!!!!
都合10万10部隊で、七尾を攻める!
正面で浅井長政隊と対峙する樋口隊が後方から斉射の被害を受けるも、家康の治療が1000単位で回復させる!
義光、本願寺顕如隊と全面決戦!
義光と家康の同士討計略攻撃が炸裂!どんどん兵を削り、顕如を討ち取る!大戦果!
すると本願寺の当主に蒲生氏郷が就任!?、坊主が後継者じゃないのかっ!?
が…本願寺改め蒲生家、ここに潰える。
生存時間約1分w
1598年ようやく、よーやく、北陸から反抗勢力が消え、東日本は完全に我が家の支配下に入る。
して西方に目を向けると…あれ?27000まで兵数を減らして滅亡寸前だった大友が、九州の西半分を制圧してる!
これは思いがけない展開。
山口会戦・下関会戦で島津を打ち破ったことが予想以上のダメージを追わせてしまったのかしら?
次の目標が決まる。
大友の拡張を封じ、来るべき同盟期限切れ後の九州圏戦に向けて準備する、である。
そして長く北陸を防衛してきた北陸防衛軍団の解団式。
よくやった義守、義、昌幸よ。褒美を取らすぞ。うむ、来るしゅうない。
しかし北陸戦はほんとに長かった…。
織田と膠着状態の睨み合いになっても、ここだけは定期的に延々とぶつかり合いが続いてた。
今となっては何もかも…いやいや!まだ振り返るには早い。あと一踏ん張りだ!

http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-705.html
既に滅亡寸前の信長なのに氷の判断力で我が軍の穴を突いてくる。
鳥取城は10000しか兵がいないのだ。
しまった!と思ったが、我が軍の中核部隊は西にいる。そこからの転戦では間に合わないかもしれない。
そこで義光考える。
ここは儂が行くしか!
止める本多親子を振り切り、23000の兵を持って鳥取城救援に向かう義光だったが、これがあんなことになろうとは…
最速で鳥取城に着いたのは、信長と信包隊、そして義光隊しかいなかった。
島津も、我が軍配下の精鋭達もいない、信長と義光のマッチアップが鳥取で起こるとは…
包囲網の罠か。
信長隊は上手く、信包と義光の間に割って入り、弱い部隊からの各個撃破を許さない。
対信長であれば、こちらの戦法は通じず、かといって通常攻撃でガンガン減らせるほど甘くない。
城の防御はジリジリへっていくが、信長隊の兵数もジリジリとしか減らない。
これは…落とされる!
覚悟した義光だったが、それはそれ、裸城となったらこちらから逆に攻勢をかけてやればよい、と目論んでいた。
案の定城は落ちた。
しかしここからは儂のターン!…と思っていたのに、思い通りに行かない!
それは死の深志城でも経験した信長パターンの発動だった。
頑強な福島隊を城の全面に置き、信長自身は遊兵として奇襲を盛んにかける。その奇襲が成功すると、部隊は混乱し士気がグッと下がり、戦闘能力が著しく低下してしまうのだ。
しかもうまいこと背面を山に押しつけられ、撤退も出来ないポジションに追い込まれる。この用兵は巧みすぎる!
こんなところで儂は今川義元になるのか!?
義光最大のピンチ!
城を一つ島津にくれてでも忠勝隊を連れてくるべきだった…。
死に際の走馬燈状態の主君をほっといて、奮戦する勝頼と信繁。壊滅必至の流れ、士気メーターの色がだんだん赤くなりながらも驚異的な粘りで持ちこたえる!
そしてようやく!
長く、異様に長く感じた時を越えて、本多隊を先頭に我が軍の精鋭達が救援に来た…
た、助かった…
織田軍に捕縛される寸前で、義光、なんとか救出される。
死ぬかと思った…。
なに?福則を捕らえたとな!?
検分じゃ、ここに引っ立てぃ!
縄をかけられ義光と重臣達の前へ連れ出される正則。だがその眼光は、未だ戦場にあり。
「・・・・・・・」
何か陳腐な言葉をかけるのも無粋と言うべきか。北陸、敦賀、鳥取…。いずれの戦いでも、お主の勇猛さを鮮烈に思い出される。勝った時、負けた時、追いつめられた時…。
義光、無言にて、検分の場を去る。
福島正則、処断。
一方下関。
40000の島津艦隊が襲う。
対処に当たる幸村隊と景勝隊は騎馬アタックコンボ発動専用の戦法選択。
安宅船に鉄砲と大筒を積んでくる島津には、港防御で勝ち目がない、と見て、防衛を放棄。
陸に上がったところを仕留める算段。
予定通り島津進軍、ロクに兵もいない港を落とす。
フフフ…さて騎馬アタックの餌食になって貰うか!と思ったら、なんが兵がガンガン減る!うは!大筒痛ぇ!
こりゃ早めに全員陸に揚げて対処せな!と戦略的後退。
敵の数が多かろうと、闘志さえ溜まってしまえばこの二門の人間大砲・幸村&景勝は強力!
島津の騎馬鉄砲を粉々に粉砕する!
しかし、島津も城郭内に鉄砲隊を配置するため、港の兵が尽きる→安宅船で海上へ逃げる鉄砲隊→弓では話にならないので港から全退去→島津軍再占拠→騎馬アタック…を2,3回ループする。
ようやく尾張が見えた頃に、島津義久隊の奇襲が決まる!
ヤバい!士気下がる!
超絶騎馬コンボの戦法選択で鼓舞を取ってこなかった失敗!この部隊には士気を上げる手だてがないのだ!
山口館にも駐留武将はいない!
士気が下がりきるか、殲滅が早いかの競争になる!
信長のように何回も奇襲をかけてこられたら、士気低下で景勝隊消散すらあり得る!
しかし、そこはさすがに港湾施設。いったん闘志が溜まりきれば、幸村隊の騎馬コンボでごっそり兵を持って行ける!
勝利!下関会戦で島津に勝った我が軍はほぼ瀬戸内海の制海権を握ることが確定的になった。
…いや、でも逆に言えば、あそこで幸村隊の戦法を封じられれば危なかったかも…。
思い返せば薄氷の勝利であった。
そして北陸。
対島津艦隊戦に将を割けなかったのは、(兵と馬が近場で揃わなかったというのもあるが)このためでもある。
地獄の北陸戦線、最後の戦いである。
残る拠点は七尾城のみ。
織田の遺産たる北陸の兵と馬を惜しみなく使い、
新司令真田昌幸率いる輪島北陸方面軍も、出せるだけ惜しみなく出陣させる!
もうこの後に敵はない!
あるのは目の前の勝利のみ。
坊主どもを皆殺しだーッ!!!!
都合10万10部隊で、七尾を攻める!
正面で浅井長政隊と対峙する樋口隊が後方から斉射の被害を受けるも、家康の治療が1000単位で回復させる!
義光、本願寺顕如隊と全面決戦!
義光と家康の同士討計略攻撃が炸裂!どんどん兵を削り、顕如を討ち取る!大戦果!
すると本願寺の当主に蒲生氏郷が就任!?、坊主が後継者じゃないのかっ!?
が…本願寺改め蒲生家、ここに潰える。
生存時間約1分w
1598年ようやく、よーやく、北陸から反抗勢力が消え、東日本は完全に我が家の支配下に入る。
して西方に目を向けると…あれ?27000まで兵数を減らして滅亡寸前だった大友が、九州の西半分を制圧してる!
これは思いがけない展開。
山口会戦・下関会戦で島津を打ち破ったことが予想以上のダメージを追わせてしまったのかしら?
次の目標が決まる。
大友の拡張を封じ、来るべき同盟期限切れ後の九州圏戦に向けて準備する、である。
そして長く北陸を防衛してきた北陸防衛軍団の解団式。
よくやった義守、義、昌幸よ。褒美を取らすぞ。うむ、来るしゅうない。
しかし北陸戦はほんとに長かった…。
織田と膠着状態の睨み合いになっても、ここだけは定期的に延々とぶつかり合いが続いてた。
今となっては何もかも…いやいや!まだ振り返るには早い。あと一踏ん張りだ!

信長革新・s1最上家リプレイ。その14。包囲網の罠。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-698.html
話は西方。
城井谷では島津と大友がマジ激突。
立花宗茂が城の防御を破壊したところへ島津の援軍が到着。一気に形勢が逆転する。
一時は隅本まで占領するほどの勢力を誇った大友家も残り兵27000。
いよいよ島津に飲み込まれそう。
今回ばかりは島津じゃなくて大友が九州王になるかと思ったんだがねぇ…。
あっ!織田領宇多津を長宗我部が占拠してる!
長宗我部にやられるとか、どんだけ…織田もヤキがまわったな…。
そんな中、最上軍。
山陰を爆走兄弟レッツ&ゴーし、本州最西端を目の前にして山口、吉田郡山の同時攻めを目論む。
島津と織田が争う瀬戸内海を避け、裏側を電撃戦していった我が家はそのどん詰まりで侵攻を反転!瀬戸内海側へ雪崩れ込む目論見である!
ここまで対決がなかった島津とついに直接対決。
残念ながら吉田の方は織田湯築城攻めに行った部隊が早々に戻ってきたので、断念して下関へ兵を進めたら、攻めたら、もれなく金銀パールならぬ軍馬36万頭と鉄砲19万丁が!笑いが止まらないw
島津恐るるに足らず!所詮は九州の井の中の蛙!と、大友との激戦の疲弊が回復しきっていない北九州へ上陸、一気に村田城まで進軍する!
ここで大友から同盟要請。
今、大友に横から突っかかれてもちょっと鬱陶しいので、承諾する。
大友椿35歳を義時にあてがう、兄・義光w
1595年秋。
義光、関東管領を名乗る。
その実績からすれば、多少遅きに失した感があるが、名実ともに関東王(正確に言えば関東No.2…)である!
家督を継いだばかりの義光には初の大きな叙勲。有頂天で九州侵攻を進めようと張り切っていたところに…
二度目の最上家包囲網発生。
下関に島津20000艦隊→わざと上陸させて陸で迎撃する。九州の本多、家康隊を向かわせる。
輪島に本願寺70000→最上義・義時の北陸方面軍が対処に当たる。
…はずだったが、どうも旗色が悪い。坊主ども、人材は悪くない上に70000も兵をため込んでいた。がめついぜ!
北陸方面軍はいわば二軍の人材なので、対処しきれない。
そこで白羽の矢が立ったのは小谷で隠居生活を送っていた真田昌幸その人。
長年一緒に戦った先代当主義守と暴れん坊将軍義輝に先立たれ、息子達も一軍を率いる将として経験を積んで独り立ちしたのを見届けると、各地を転戦した軍団を解散し、のんびりと琵琶湖で釣りや鷹狩りでもしていたのだが…どうも雲行きが怪しいことを知る。
そこへ義光から要請が。輪島を助けてやって欲しい、と。
お館様のお指図なれば、断ることなどできますまい。
昌幸は勇躍輪島へと馬を走らせた。
これでなんとかなる…昌幸ならば、と義光のみならず、家中全員が安心したのも束の間、これが更なる混乱を巻き起こそうとは、ほとんど誰も予想してはいなかった。
昌幸、慣れ親しんだ鎧を纏い、能登の先にある陣中へ向かう。
敵は坊主70000、相手にとって不足無し!
送り出す小谷の部下も、昌幸殿なら!と期待をもって見送ったのだが…
その直後、彼らに戦慄が走る!
「一乗谷の織田軍が敦賀港へ進軍」
凍り付く一同。
昌幸が輪島に旅だったのを見計らうように織田40000が敦賀へ進軍開始!
そうなのである。
輪島の北陸方面軍が二軍戦力なら、織田防衛隊はそれ以下!到底40000の織田本軍など受けきれない!
それが可能に思えたのは、小谷にあの常勝軍師がいてくれたがゆえ、である。
半ばパニックになる敦賀港!
主力は全員西にいる!
もうどうしようもないので近隣の武将をかき集める。
指揮を執るのは観音寺城主北条氏政、相馬盛胤らである。
一方北陸。
織田立つ!の報は移動中の昌幸にも知らされたが、今となっては引き返すことも愚策だ。
なにより輪島ではもう戦いが始まっており、案の定形勢は不利。
誰かが流れを変えない限り、最上軍は日本海に追い落とされる。
ようやく着陣した昌幸、既に一度本願寺に部隊を壊滅させられた義時らへの挨拶もそこそこに、すぐさま全戦へ出る!
なんとかギリギリ、前線は最上義、服部らによって維持されていた。間に合った。
本願寺の数の暴力と、なかなか発動できない戦法戦術に手を焼いていた北陸方面軍だが、そこに火牛計・同士討の計略コンボが木霊する!
前線を突破し、輪島港に取り付こうとしていた顕如隊がガクッ!とその数を減らす!
「昌幸が来た!」
本願寺も走る動揺。
そこから戦場の空気は一変するのである。
絶望の戦場、敦賀では。
身を挺して織田軍の総攻撃を防ごうとする北条氏政ら、急造敦賀防衛軍。
しかし、織田軍の本気攻撃の前には為す術がなかった。
敦賀港、城門を破られる!
氏政らは、小西隊ら三部隊を壊滅させるも、信長ユニットが強すぎる!福島正則が攻めに守りに鬼の強さを見せつけてくる!
抵抗虚しく、敦賀は織田の手に落ちる…
いや!虚しくはなかった!
氏政、相馬らの奮戦によって時間が稼げた我が軍は、精鋭を転戦させる時間を得て、畿内周辺から幸村、景勝、樋口隊が敦賀へ参陣出来た。
いくら信長とて、防御を失い、立て直す暇がない港湾施設で守り通すのは至難の業である。
こうして敦賀は奪還。結局は事なきを得た…とも言えないか。
港に残された傷兵は敵味方合わせて50000、味方武将の負傷者は十数人を数え、尋常ならざる爪痕を信長から被ったのは間違いなかった。
北陸。
形勢を徐々に盛り返した輪島軍は本願寺を撤退の判断に追い込む。
追撃を試みる部隊には、やめておけ、との昌幸の指示で、暴発する部下もなく整然と輪島へと撤退する。
一応の終結を見た本願寺織田の北陸攻勢だったが、その余韻も収まらぬ中、義光は決断する。
全軍を北陸に集め、一乗谷へと向かわせる。
両側を山に挟まれた城塞都市、一乗谷を包囲すると、家康の秘術、水攻めが発動!
一気に難攻不落の城を落城へと追い込む。
北陸最大の織田拠点は水没し、その機能を失った。
残すは御崎御坊だが…
仁科、九鬼…確認する度に城主が変わる。
どうも我が軍が城に取り付く前に逃げていったらしい。逃亡名人信長は既に姫路いる、と草から情報が入る。
そんな城であれば落とすのは容易い。
大量に抱えてしまった織田の捕虜が、季節ごとにポロポロ逃げ出す。しかし皮肉なことに、逃げ出す度に織田の赤字がどんどん大きくなる(笑)
織田の本城はもはや二つしか残っていない。泥船が沈む寸前だ。
島津が山口を攻めるとアナウンスがあったが、ここは無視。
全力で御崎御坊攻める!
御崎落城。
こうして北陸から織田は完全に排除された。
落とした瞬間に、門司、下関、九州の各地へ武将移動。
島津へ対処する。
山口侵攻部隊を壊滅せしめ、吉田郡山まで追撃戦をして城を落とす。
島津恐るるに足らず!と鬨の声を上げようとしたら、今度は九州村田が攻められる。
急ぎ転進!
村田、城井谷を対処した思ったら今度は下関へ20000の艦隊が!
忙しい!島津の一人最上家包囲網!
そんな時、村田へ援軍に向かう政宗が、久留米あたりで家久と偶然遭遇戦になってしまう。
狙って、ではないところが、忙しさに目が回っていた証拠かもしれない。
相手も油断していたか?捕縛に成功し、村田城にて処断。
そうこうしていると、今度は鳥取城が目標になる!
どこの島津の部隊かと思いきや、なんと姫路の織田!Σ(゚Д゚;エーッ!!
まだ闘志は萎えていないのか!?、北陸であれだけ散々痛めつけたのに…
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-698.html
話は西方。
城井谷では島津と大友がマジ激突。
立花宗茂が城の防御を破壊したところへ島津の援軍が到着。一気に形勢が逆転する。
一時は隅本まで占領するほどの勢力を誇った大友家も残り兵27000。
いよいよ島津に飲み込まれそう。
今回ばかりは島津じゃなくて大友が九州王になるかと思ったんだがねぇ…。
あっ!織田領宇多津を長宗我部が占拠してる!
長宗我部にやられるとか、どんだけ…織田もヤキがまわったな…。
そんな中、最上軍。
山陰を爆走兄弟レッツ&ゴーし、本州最西端を目の前にして山口、吉田郡山の同時攻めを目論む。
島津と織田が争う瀬戸内海を避け、裏側を電撃戦していった我が家はそのどん詰まりで侵攻を反転!瀬戸内海側へ雪崩れ込む目論見である!
ここまで対決がなかった島津とついに直接対決。
残念ながら吉田の方は織田湯築城攻めに行った部隊が早々に戻ってきたので、断念して下関へ兵を進めたら、攻めたら、もれなく金銀パールならぬ軍馬36万頭と鉄砲19万丁が!笑いが止まらないw
島津恐るるに足らず!所詮は九州の井の中の蛙!と、大友との激戦の疲弊が回復しきっていない北九州へ上陸、一気に村田城まで進軍する!
ここで大友から同盟要請。
今、大友に横から突っかかれてもちょっと鬱陶しいので、承諾する。
大友椿35歳を義時にあてがう、兄・義光w
1595年秋。
義光、関東管領を名乗る。
その実績からすれば、多少遅きに失した感があるが、名実ともに関東王(正確に言えば関東No.2…)である!
家督を継いだばかりの義光には初の大きな叙勲。有頂天で九州侵攻を進めようと張り切っていたところに…
二度目の最上家包囲網発生。
下関に島津20000艦隊→わざと上陸させて陸で迎撃する。九州の本多、家康隊を向かわせる。
輪島に本願寺70000→最上義・義時の北陸方面軍が対処に当たる。
…はずだったが、どうも旗色が悪い。坊主ども、人材は悪くない上に70000も兵をため込んでいた。がめついぜ!
北陸方面軍はいわば二軍の人材なので、対処しきれない。
そこで白羽の矢が立ったのは小谷で隠居生活を送っていた真田昌幸その人。
長年一緒に戦った先代当主義守と暴れん坊将軍義輝に先立たれ、息子達も一軍を率いる将として経験を積んで独り立ちしたのを見届けると、各地を転戦した軍団を解散し、のんびりと琵琶湖で釣りや鷹狩りでもしていたのだが…どうも雲行きが怪しいことを知る。
そこへ義光から要請が。輪島を助けてやって欲しい、と。
お館様のお指図なれば、断ることなどできますまい。
昌幸は勇躍輪島へと馬を走らせた。
これでなんとかなる…昌幸ならば、と義光のみならず、家中全員が安心したのも束の間、これが更なる混乱を巻き起こそうとは、ほとんど誰も予想してはいなかった。
昌幸、慣れ親しんだ鎧を纏い、能登の先にある陣中へ向かう。
敵は坊主70000、相手にとって不足無し!
送り出す小谷の部下も、昌幸殿なら!と期待をもって見送ったのだが…
その直後、彼らに戦慄が走る!
「一乗谷の織田軍が敦賀港へ進軍」
凍り付く一同。
昌幸が輪島に旅だったのを見計らうように織田40000が敦賀へ進軍開始!
そうなのである。
輪島の北陸方面軍が二軍戦力なら、織田防衛隊はそれ以下!到底40000の織田本軍など受けきれない!
それが可能に思えたのは、小谷にあの常勝軍師がいてくれたがゆえ、である。
半ばパニックになる敦賀港!
主力は全員西にいる!
もうどうしようもないので近隣の武将をかき集める。
指揮を執るのは観音寺城主北条氏政、相馬盛胤らである。
一方北陸。
織田立つ!の報は移動中の昌幸にも知らされたが、今となっては引き返すことも愚策だ。
なにより輪島ではもう戦いが始まっており、案の定形勢は不利。
誰かが流れを変えない限り、最上軍は日本海に追い落とされる。
ようやく着陣した昌幸、既に一度本願寺に部隊を壊滅させられた義時らへの挨拶もそこそこに、すぐさま全戦へ出る!
なんとかギリギリ、前線は最上義、服部らによって維持されていた。間に合った。
本願寺の数の暴力と、なかなか発動できない戦法戦術に手を焼いていた北陸方面軍だが、そこに火牛計・同士討の計略コンボが木霊する!
前線を突破し、輪島港に取り付こうとしていた顕如隊がガクッ!とその数を減らす!
「昌幸が来た!」
本願寺も走る動揺。
そこから戦場の空気は一変するのである。
絶望の戦場、敦賀では。
身を挺して織田軍の総攻撃を防ごうとする北条氏政ら、急造敦賀防衛軍。
しかし、織田軍の本気攻撃の前には為す術がなかった。
敦賀港、城門を破られる!
氏政らは、小西隊ら三部隊を壊滅させるも、信長ユニットが強すぎる!福島正則が攻めに守りに鬼の強さを見せつけてくる!
抵抗虚しく、敦賀は織田の手に落ちる…
いや!虚しくはなかった!
氏政、相馬らの奮戦によって時間が稼げた我が軍は、精鋭を転戦させる時間を得て、畿内周辺から幸村、景勝、樋口隊が敦賀へ参陣出来た。
いくら信長とて、防御を失い、立て直す暇がない港湾施設で守り通すのは至難の業である。
こうして敦賀は奪還。結局は事なきを得た…とも言えないか。
港に残された傷兵は敵味方合わせて50000、味方武将の負傷者は十数人を数え、尋常ならざる爪痕を信長から被ったのは間違いなかった。
北陸。
形勢を徐々に盛り返した輪島軍は本願寺を撤退の判断に追い込む。
追撃を試みる部隊には、やめておけ、との昌幸の指示で、暴発する部下もなく整然と輪島へと撤退する。
一応の終結を見た本願寺織田の北陸攻勢だったが、その余韻も収まらぬ中、義光は決断する。
全軍を北陸に集め、一乗谷へと向かわせる。
両側を山に挟まれた城塞都市、一乗谷を包囲すると、家康の秘術、水攻めが発動!
一気に難攻不落の城を落城へと追い込む。
北陸最大の織田拠点は水没し、その機能を失った。
残すは御崎御坊だが…
仁科、九鬼…確認する度に城主が変わる。
どうも我が軍が城に取り付く前に逃げていったらしい。逃亡名人信長は既に姫路いる、と草から情報が入る。
そんな城であれば落とすのは容易い。
大量に抱えてしまった織田の捕虜が、季節ごとにポロポロ逃げ出す。しかし皮肉なことに、逃げ出す度に織田の赤字がどんどん大きくなる(笑)
織田の本城はもはや二つしか残っていない。泥船が沈む寸前だ。
島津が山口を攻めるとアナウンスがあったが、ここは無視。
全力で御崎御坊攻める!
御崎落城。
こうして北陸から織田は完全に排除された。
落とした瞬間に、門司、下関、九州の各地へ武将移動。
島津へ対処する。
山口侵攻部隊を壊滅せしめ、吉田郡山まで追撃戦をして城を落とす。
島津恐るるに足らず!と鬨の声を上げようとしたら、今度は九州村田が攻められる。
急ぎ転進!
村田、城井谷を対処した思ったら今度は下関へ20000の艦隊が!
忙しい!島津の一人最上家包囲網!
そんな時、村田へ援軍に向かう政宗が、久留米あたりで家久と偶然遭遇戦になってしまう。
狙って、ではないところが、忙しさに目が回っていた証拠かもしれない。
相手も油断していたか?捕縛に成功し、村田城にて処断。
そうこうしていると、今度は鳥取城が目標になる!
どこの島津の部隊かと思いきや、なんと姫路の織田!Σ(゚Д゚;エーッ!!
まだ闘志は萎えていないのか!?、北陸であれだけ散々痛めつけたのに…
信長革新・s1最上家リプレイ。その13。織田殲滅戦!
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-695.html
と言ってるウチに岸和田が落ちる。
京と目と鼻の先、矢上への輸送隊が見える。
襲うことに決定w
矢上からの迎撃部隊が出てきたのでなしくずし的に城攻めに。
矢上を落とす。
次は石山攻め。
どうやら鉄砲櫓武装をしようとしている。早々にその芽をつみ取っておくしかない。
防御20000の大城を奪って対織田西方の守りとする。
兵が13000も残ってるのに籠城戦に入ったので、ここも包囲で落とす。
このあたりから関西の織田軍はgdgdになる。
もう畿内周辺は諦めた?
ルーツたる清洲を獲られて野望も萎んだか?
本願寺との同盟期限切れ。
しかし四方敵だらけでどうにもならない罠w。坊主プギャーwwww
と、同時に富田隆実・蠣崎季を引き抜く抜け目なさ…。
北条綱成死亡…うううううう…よく働いてくれた。ゆっくり休めよ…。
大友との同盟切れる。
織田が横槍開発。なんだ、静かだと思ったら技術開発してたのか。
ついでに?九戸政・九戸実・築田・多賀谷・新発田重・平林を引き抜きされる。
細かいことは気にせずに観音寺を包囲戦。ここ後ろが琵琶湖だから城門3かと思ったら4なんだね。
今度は家康の土竜攻め発動。水攻めじゃないのか?ここ…。って山城か。
大砲をボンボン撃ってくるがそれも気にせず包囲。
次の狙い、弓木を包囲している時に、観音寺攻めを仕掛けてくる岐阜木曽の織田軍。
山中鹿之助・小西行長ら40000。
久しぶりに大型の会戦になる!?
…とか思ったら津田隊が潰れただけで潰走ですか…最強織田が懐かしくなる…。
弓木を攻めていた部隊を鳥取へ向かわす。
ここも徳川の土竜攻め。防御6000の城だと、土竜相手には紙のようだw
そんなまったりとした伯耆とは裏腹に、四国は風雲急を告げる。
なんと勝瑞で長宗我部が織田に勝ちそう!これも我が家が伝授した技術の成果か?
一方土佐では島津の侵攻を受ける長宗我部。ぴんぴんち!
鉄砲騎馬の威力であっという間に兵が減っていく岡豊城!
城の防御が瓦解するのとほぼ同時にまともに戦える城兵も0になってしまう!
援軍に向かったはずが、這々の体で逃げ帰る長宗我部…哀れ…。
あ、また勝瑞攻められたけど、また守った!頑張れ長宗我部。
門司では関門海峡の制海権を巡って大友と島津が正面衝突してる。
うお、今度は織田の今治を狙って島津と大友が決戦かよ!
うおー!安宅船の大筒つえー!
今治港があっという間に落ちた!
っていうか島津、織田の港スルーしてるし!やっぱり悪の同盟を結んでしまったか…。
安東愛季、死去。
思えば最初に仕えてくれた他家の猛将だった…ありがとうよ…安らかに眠れ。
さて、これからどうするか?を考えると、
御所を奪われないようにする、という意味では畿内近辺にまだ存在する織田勢力の駆逐だな、と考え、そうすると目標は敦賀、小谷あたりに絞られる。
特に敦賀は北方廻船での補給を断つという意味で、なかなかの重要拠点だ。ここを攻めることにしよう。
敦賀攻め。
加藤清正と鳥居元忠が立ちふさがってくる!なかなかに高い壁!
家康隊が半減させられ、弓木へ撤退を余儀なくされるが、観音寺から到着した景勝隊加勢!
久しぶりの傷兵20000に乗せた北の港での戦いは我が軍勝利で終結。
いやぁ、やっぱり清正・正則あたりが出てくると燃えるな!
…と、言えるぐらいになったんだなぁ、我が家も。
実際、この頃からもう織田とは明らかな差がついてきており、勢力図から見ても織田は北陸の一地方勢力、と言い切ってもいいような衰退を見せていたのですね。
(四国中国伊勢信濃に飛び地領が残っていますが)
こうなれば全力で叩き潰すのもまた礼儀。
畿内から織田の影を消すために小谷攻め。
大谷吉継の奇襲で徳川軍がガックリ減らされたり、井伊が狙撃されたりと徳川勢には踏んだり蹴ったりだが、そこは得意の土竜攻め。
1590年夏。
畿内から織田を排除したのを見届けるように、最上義守永眠。
北陸を除く東日本を全て勢力下に納め、義光に当主の座を譲る。
我が家が喪に服していた期間。
西方では我が家を裏切り織田家へ走った九戸実が島津家に襲われ能島港を奪われていた。無情。
秋。
喪が明けた我が軍は木曽の織田軍を攻める。
気分は既に残党狩りである。
北斗の拳で言うところの「汚物は消毒だぁー!!」である。どっちが悪党だw
その頃関門海峡では島津と大友が激しい海戦で潰し合い。
佐竹義宣発見。
あら?飯田城包囲戦をのんびりやってたら、今頃になって我が家の包囲網が。
いったい誰が仕掛けたの?
いきなりだろwww
義昭将軍は我が手中にあるんだが…
月山富田・姫路から鳥取へ
岐阜から観音寺へ
霧山から筒井へ
鳥羽から浜松へ海戦。
織田最後の輝きか?
鳥取は現地の数正、伊達輝、本多政、和田、御子神に任せ家康隊を派遣する。
筒井攻めの部隊は、丁度終わった飯田攻めの部隊を清洲に移し、そこから進発させる。筒井城主滝川重、山内。
観音寺は自主防御。城主は北条氏政、南部利・信、沼田。沼田は筒井へ。
鳥羽はどうだろうなぁ…一応幸村がいるんだが、相手鉄砲隊のようだ…。
筒井は撃退できそうなので清洲の将達を小谷へ移す。
浜松も撃退。
本願寺も輪島を攻めてくる。ウザす!
蓮沼に支城をまた造られる。
観音寺で会戦発生。
清正、山中隊と景勝、本多隊激突。
山中の槍連鎖で本多隊がかなり減らされるが、結局はこちらが一部隊潰して織田敗走。
あれ?また蓮沼に支城建設…だって、さっき造ってなかった?
あっ!設置しておいた鉄砲櫓が建設隊を自動攻撃してる!バロスwww これのせいか!
これはひどいww
包囲網が続く中、木曽山麓討伐を続行。
岩村城を攻撃中に背後の岐阜から織田が出る。これが本当に最後の輝きかもしれない。
岩村城を包囲攻撃するのは諏訪側から、樋口・伊達隊、岐阜側から幸村隊である。
既に城の防御は丸裸だが、敢えてここで攻撃を中止する。
それは岐阜から出てきた織田本体を野戦に引きずり込むためだ。
岐阜城攻略を円滑にするため、この野戦で織田を撃滅するしかない!
義光、全軍に出撃命令。
深志から家康、清洲から景勝、観音寺から義光本体が出撃る!
問題は、(織田の岐阜からの援軍を城へ退却させないために)岩村を敢えて落とさない=幸村隊が敵中で孤立する、ということである。
織田本体の攻撃を一斉に受けながら、味方の援軍が戦場に到着するまで、ひたすら耐える幸村隊。
既に城の防御は崩壊、いつでも攻め落とせるのを指を咥えてみていなければならない樋口・伊達の両将。
忍える時間は過ぎる…何度も戦法防御する幸村だが、次第にその数を減らされ、部隊は半減。さすが腐っても織田、腐っても清正。
伊達隊は突出を試みるが、樋口に制される。
ジリジリと数を減らしていく幸村隊。
ようやくそこへ本多、義光、景勝到着。
織田の背後へ着く。
清正の部隊をようやく潰したと思ったら、岐阜に戻って再度出撃してくる!しぶといよ!
御子神吉明、寝返り。
水谷胤重、寝返り。
岩村会戦は真田幸村の足止め策が成功し、見事野戦で岐阜城の部隊を壊滅させることに成功!
ついで岐阜への追撃戦に入る。
冬、岐阜城包囲完成。家康の土竜で更に圧迫。
1692年冬。ついに信長の本城、岐阜墜ちる。
ここでかねてからの念願だった桜洞を攻める。
富山からの援軍の含めての全軍総攻撃である。
そのころ浜松ではかなり本気の会戦が。
織田軍は小西行長を始めとする五部隊40000で25000の浜松港を攻めている!
浜松を守るは相馬盛胤、奥平信昌、前野長康。
激戦である。港の防壁は突破され、裸での撃ち合いとなってしまう!
兵が18000を切る。
裏切り者・九戸政隊撤退。
兵が11000を切ったところで、織田水軍撤退。
危なかった…
危うく軍馬87000、鉄砲98000を奪われる大失態を犯すところだった。
逆言えばそのため込んだ鉄砲が活きた、とも言えるが。
浜松の危機が去ったので、本体は、清洲→岐阜→飛騨と山へ逃げていく織田本体を追い、今度は富山からの挟撃で完全に行き場を失わせる策に出る。
桜洞に立てこもる織田90000、対して攻める最上軍精鋭85000。飛騨の山中での関ヶ原である。
先陣を切ってきたのは小幡信貞、我が軍を裏切った男である。
何の義を持って織田に味方するかわからぬが、邪魔する者は全員斬る。
ついで加藤清正隊が家康の後方に迫る!景勝の背後に回ろうとしてくる山中・吉川隊!
更にそれに加わろうとする池田隊を幸村の騎馬アタックで阻止!
景勝隊半減の痛手を負いながら、ようやく敵の兵数も減らし、ついに城を包囲、家康の土竜発動。
秋。
そろそろ包囲戦も最終盤…という時に、長宗我部が我が家に宣戦布告!というアナウンスが。
は?今頃??
さてまぁ長宗我部のお手並み拝見、とニヨニヨして眺めることに。
頑張ったようで、結局は逃げ去る長宗我部。
まぁ、堺の防御を1600減らしたのは褒めてやるか…。
しかしこれで長宗我部は兵18000に減る。もうマジで風前の灯火。
しかも我が家への包囲網あと四ヶ月しかないし…。
桜洞落ちる。
裏切り者、築田・小幡・多賀谷・梶原を処断。
50000超の傷兵が激戦を物語る。
仁科盛信、離反。
保科正俊、本願寺へ離反。
さて、これで名実ともに織田を北陸の一地方大名に追い落とした我が家。
桜洞では織田がためこんだ軍馬22万頭、鉄砲20万丁を入手。フフフ…。こんなに隠し持っていやがったのか。
信長は包囲された桜洞を抜け出し伊勢にいる、と草からの情報が。
浜松をかなり危ない目に遭わせた志摩を無力化させるためにも、伊勢侵攻が決定される。
飛騨を駆け下りる最上軍騎馬隊65000。
途中で樋口、伊達隊と合流する。
回復した傷兵を輸送させ、飯田城を廃城。
霧山御所を包囲。
その最中に延沢死亡…おぉ…数少ない山形時代からの忠臣が…。
子孫も決して粗略には扱わぬぉ!朝廷に言ってなんか偉い官職も追贈するぉ!
そして鳥羽港制圧。
裏切り者、九戸政、処断。
カウンターアタックの脅威だった鳥羽の兵力も全て削ぎ落とす。
一方その頃、山口。
西国から再起せんと思ったか、加藤・福島両隊は山口で島津本体とガチンコ勝負をしていた。
しかし島津山口城の鉄砲櫓地帯にうまく引きずり込まれたあげく、退路を島津義弘に封じられ、壊滅危機!
よく耐えたものの、両隊相次いで壊滅…
最強を誇った織田軍の影も無し…。
岩村城廃城。
これで深志・春日山へと通じる補給路が全面的に開放される。
今思えば、なんで敵に明け渡すのがわかってるのに、支城なんか造ったんだ?という織田の意図がわかる。
深志方面からの電撃戦を封じられることで、戦略的選択肢をいくつももがれるというのは、返す返すも大きな痛手だった。
その点は織田にまんまとしてやられたなぁ。
西方。
岡山城には島津の大砲攻撃が!
織田軍、島津に岡山にまで攻め込まれてしまう。
こうなると残る織田の拠点は、一乗谷と姫路あたりが最大。
我が家はどちらに攻めの将軍を合わせたか、というと…
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と言ってるウチに岸和田が落ちる。
京と目と鼻の先、矢上への輸送隊が見える。
襲うことに決定w
矢上からの迎撃部隊が出てきたのでなしくずし的に城攻めに。
矢上を落とす。
次は石山攻め。
どうやら鉄砲櫓武装をしようとしている。早々にその芽をつみ取っておくしかない。
防御20000の大城を奪って対織田西方の守りとする。
兵が13000も残ってるのに籠城戦に入ったので、ここも包囲で落とす。
このあたりから関西の織田軍はgdgdになる。
もう畿内周辺は諦めた?
ルーツたる清洲を獲られて野望も萎んだか?
本願寺との同盟期限切れ。
しかし四方敵だらけでどうにもならない罠w。坊主プギャーwwww
と、同時に富田隆実・蠣崎季を引き抜く抜け目なさ…。
北条綱成死亡…うううううう…よく働いてくれた。ゆっくり休めよ…。
大友との同盟切れる。
織田が横槍開発。なんだ、静かだと思ったら技術開発してたのか。
ついでに?九戸政・九戸実・築田・多賀谷・新発田重・平林を引き抜きされる。
細かいことは気にせずに観音寺を包囲戦。ここ後ろが琵琶湖だから城門3かと思ったら4なんだね。
今度は家康の土竜攻め発動。水攻めじゃないのか?ここ…。って山城か。
大砲をボンボン撃ってくるがそれも気にせず包囲。
次の狙い、弓木を包囲している時に、観音寺攻めを仕掛けてくる岐阜木曽の織田軍。
山中鹿之助・小西行長ら40000。
久しぶりに大型の会戦になる!?
…とか思ったら津田隊が潰れただけで潰走ですか…最強織田が懐かしくなる…。
弓木を攻めていた部隊を鳥取へ向かわす。
ここも徳川の土竜攻め。防御6000の城だと、土竜相手には紙のようだw
そんなまったりとした伯耆とは裏腹に、四国は風雲急を告げる。
なんと勝瑞で長宗我部が織田に勝ちそう!これも我が家が伝授した技術の成果か?
一方土佐では島津の侵攻を受ける長宗我部。ぴんぴんち!
鉄砲騎馬の威力であっという間に兵が減っていく岡豊城!
城の防御が瓦解するのとほぼ同時にまともに戦える城兵も0になってしまう!
援軍に向かったはずが、這々の体で逃げ帰る長宗我部…哀れ…。
あ、また勝瑞攻められたけど、また守った!頑張れ長宗我部。
門司では関門海峡の制海権を巡って大友と島津が正面衝突してる。
うお、今度は織田の今治を狙って島津と大友が決戦かよ!
うおー!安宅船の大筒つえー!
今治港があっという間に落ちた!
っていうか島津、織田の港スルーしてるし!やっぱり悪の同盟を結んでしまったか…。
安東愛季、死去。
思えば最初に仕えてくれた他家の猛将だった…ありがとうよ…安らかに眠れ。
さて、これからどうするか?を考えると、
御所を奪われないようにする、という意味では畿内近辺にまだ存在する織田勢力の駆逐だな、と考え、そうすると目標は敦賀、小谷あたりに絞られる。
特に敦賀は北方廻船での補給を断つという意味で、なかなかの重要拠点だ。ここを攻めることにしよう。
敦賀攻め。
加藤清正と鳥居元忠が立ちふさがってくる!なかなかに高い壁!
家康隊が半減させられ、弓木へ撤退を余儀なくされるが、観音寺から到着した景勝隊加勢!
久しぶりの傷兵20000に乗せた北の港での戦いは我が軍勝利で終結。
いやぁ、やっぱり清正・正則あたりが出てくると燃えるな!
…と、言えるぐらいになったんだなぁ、我が家も。
実際、この頃からもう織田とは明らかな差がついてきており、勢力図から見ても織田は北陸の一地方勢力、と言い切ってもいいような衰退を見せていたのですね。
(四国中国伊勢信濃に飛び地領が残っていますが)
こうなれば全力で叩き潰すのもまた礼儀。
畿内から織田の影を消すために小谷攻め。
大谷吉継の奇襲で徳川軍がガックリ減らされたり、井伊が狙撃されたりと徳川勢には踏んだり蹴ったりだが、そこは得意の土竜攻め。
1590年夏。
畿内から織田を排除したのを見届けるように、最上義守永眠。
北陸を除く東日本を全て勢力下に納め、義光に当主の座を譲る。
我が家が喪に服していた期間。
西方では我が家を裏切り織田家へ走った九戸実が島津家に襲われ能島港を奪われていた。無情。
秋。
喪が明けた我が軍は木曽の織田軍を攻める。
気分は既に残党狩りである。
北斗の拳で言うところの「汚物は消毒だぁー!!」である。どっちが悪党だw
その頃関門海峡では島津と大友が激しい海戦で潰し合い。
佐竹義宣発見。
あら?飯田城包囲戦をのんびりやってたら、今頃になって我が家の包囲網が。
いったい誰が仕掛けたの?
いきなりだろwww
義昭将軍は我が手中にあるんだが…
月山富田・姫路から鳥取へ
岐阜から観音寺へ
霧山から筒井へ
鳥羽から浜松へ海戦。
織田最後の輝きか?
鳥取は現地の数正、伊達輝、本多政、和田、御子神に任せ家康隊を派遣する。
筒井攻めの部隊は、丁度終わった飯田攻めの部隊を清洲に移し、そこから進発させる。筒井城主滝川重、山内。
観音寺は自主防御。城主は北条氏政、南部利・信、沼田。沼田は筒井へ。
鳥羽はどうだろうなぁ…一応幸村がいるんだが、相手鉄砲隊のようだ…。
筒井は撃退できそうなので清洲の将達を小谷へ移す。
浜松も撃退。
本願寺も輪島を攻めてくる。ウザす!
蓮沼に支城をまた造られる。
観音寺で会戦発生。
清正、山中隊と景勝、本多隊激突。
山中の槍連鎖で本多隊がかなり減らされるが、結局はこちらが一部隊潰して織田敗走。
あれ?また蓮沼に支城建設…だって、さっき造ってなかった?
あっ!設置しておいた鉄砲櫓が建設隊を自動攻撃してる!バロスwww これのせいか!
これはひどいww
包囲網が続く中、木曽山麓討伐を続行。
岩村城を攻撃中に背後の岐阜から織田が出る。これが本当に最後の輝きかもしれない。
岩村城を包囲攻撃するのは諏訪側から、樋口・伊達隊、岐阜側から幸村隊である。
既に城の防御は丸裸だが、敢えてここで攻撃を中止する。
それは岐阜から出てきた織田本体を野戦に引きずり込むためだ。
岐阜城攻略を円滑にするため、この野戦で織田を撃滅するしかない!
義光、全軍に出撃命令。
深志から家康、清洲から景勝、観音寺から義光本体が出撃る!
問題は、(織田の岐阜からの援軍を城へ退却させないために)岩村を敢えて落とさない=幸村隊が敵中で孤立する、ということである。
織田本体の攻撃を一斉に受けながら、味方の援軍が戦場に到着するまで、ひたすら耐える幸村隊。
既に城の防御は崩壊、いつでも攻め落とせるのを指を咥えてみていなければならない樋口・伊達の両将。
忍える時間は過ぎる…何度も戦法防御する幸村だが、次第にその数を減らされ、部隊は半減。さすが腐っても織田、腐っても清正。
伊達隊は突出を試みるが、樋口に制される。
ジリジリと数を減らしていく幸村隊。
ようやくそこへ本多、義光、景勝到着。
織田の背後へ着く。
清正の部隊をようやく潰したと思ったら、岐阜に戻って再度出撃してくる!しぶといよ!
御子神吉明、寝返り。
水谷胤重、寝返り。
岩村会戦は真田幸村の足止め策が成功し、見事野戦で岐阜城の部隊を壊滅させることに成功!
ついで岐阜への追撃戦に入る。
冬、岐阜城包囲完成。家康の土竜で更に圧迫。
1692年冬。ついに信長の本城、岐阜墜ちる。
ここでかねてからの念願だった桜洞を攻める。
富山からの援軍の含めての全軍総攻撃である。
そのころ浜松ではかなり本気の会戦が。
織田軍は小西行長を始めとする五部隊40000で25000の浜松港を攻めている!
浜松を守るは相馬盛胤、奥平信昌、前野長康。
激戦である。港の防壁は突破され、裸での撃ち合いとなってしまう!
兵が18000を切る。
裏切り者・九戸政隊撤退。
兵が11000を切ったところで、織田水軍撤退。
危なかった…
危うく軍馬87000、鉄砲98000を奪われる大失態を犯すところだった。
逆言えばそのため込んだ鉄砲が活きた、とも言えるが。
浜松の危機が去ったので、本体は、清洲→岐阜→飛騨と山へ逃げていく織田本体を追い、今度は富山からの挟撃で完全に行き場を失わせる策に出る。
桜洞に立てこもる織田90000、対して攻める最上軍精鋭85000。飛騨の山中での関ヶ原である。
先陣を切ってきたのは小幡信貞、我が軍を裏切った男である。
何の義を持って織田に味方するかわからぬが、邪魔する者は全員斬る。
ついで加藤清正隊が家康の後方に迫る!景勝の背後に回ろうとしてくる山中・吉川隊!
更にそれに加わろうとする池田隊を幸村の騎馬アタックで阻止!
景勝隊半減の痛手を負いながら、ようやく敵の兵数も減らし、ついに城を包囲、家康の土竜発動。
秋。
そろそろ包囲戦も最終盤…という時に、長宗我部が我が家に宣戦布告!というアナウンスが。
は?今頃??
さてまぁ長宗我部のお手並み拝見、とニヨニヨして眺めることに。
頑張ったようで、結局は逃げ去る長宗我部。
まぁ、堺の防御を1600減らしたのは褒めてやるか…。
しかしこれで長宗我部は兵18000に減る。もうマジで風前の灯火。
しかも我が家への包囲網あと四ヶ月しかないし…。
桜洞落ちる。
裏切り者、築田・小幡・多賀谷・梶原を処断。
50000超の傷兵が激戦を物語る。
仁科盛信、離反。
保科正俊、本願寺へ離反。
さて、これで名実ともに織田を北陸の一地方大名に追い落とした我が家。
桜洞では織田がためこんだ軍馬22万頭、鉄砲20万丁を入手。フフフ…。こんなに隠し持っていやがったのか。
信長は包囲された桜洞を抜け出し伊勢にいる、と草からの情報が。
浜松をかなり危ない目に遭わせた志摩を無力化させるためにも、伊勢侵攻が決定される。
飛騨を駆け下りる最上軍騎馬隊65000。
途中で樋口、伊達隊と合流する。
回復した傷兵を輸送させ、飯田城を廃城。
霧山御所を包囲。
その最中に延沢死亡…おぉ…数少ない山形時代からの忠臣が…。
子孫も決して粗略には扱わぬぉ!朝廷に言ってなんか偉い官職も追贈するぉ!
そして鳥羽港制圧。
裏切り者、九戸政、処断。
カウンターアタックの脅威だった鳥羽の兵力も全て削ぎ落とす。
一方その頃、山口。
西国から再起せんと思ったか、加藤・福島両隊は山口で島津本体とガチンコ勝負をしていた。
しかし島津山口城の鉄砲櫓地帯にうまく引きずり込まれたあげく、退路を島津義弘に封じられ、壊滅危機!
よく耐えたものの、両隊相次いで壊滅…
最強を誇った織田軍の影も無し…。
岩村城廃城。
これで深志・春日山へと通じる補給路が全面的に開放される。
今思えば、なんで敵に明け渡すのがわかってるのに、支城なんか造ったんだ?という織田の意図がわかる。
深志方面からの電撃戦を封じられることで、戦略的選択肢をいくつももがれるというのは、返す返すも大きな痛手だった。
その点は織田にまんまとしてやられたなぁ。
西方。
岡山城には島津の大砲攻撃が!
織田軍、島津に岡山にまで攻め込まれてしまう。
こうなると残る織田の拠点は、一乗谷と姫路あたりが最大。
我が家はどちらに攻めの将軍を合わせたか、というと…
信長革新・s1最上家リプレイ。その11。天下に覇を唱えよ!
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-691.html
(前回のあらすじ)
どうにも睨み合いで膠着状態が続いていた関東覇者・最上家と京を抑える織田家。
それを打開する一手として南紀強襲を果たす。
追加の補給部隊も到着したことで畿内での作戦行動を行い余裕も出てきた。
そんな我が家、畿内侵攻を推し進める論に押されて堺への強襲上陸を試みるが、織田に先手を打たれ、もしや絶体絶命!?
義守が堺沖でアウアウ状態だった頃、もしや浜松でも狙っているのでは?と思っていた鳥羽の大軍勢がなんと(筒井城周り・陸戦で)雑賀を狙ってくる!なぜそこから!?
しかもざっと見て5万以上の部隊がやってくる!こちらの城はまだ全改修が終わってないし!我が家ぴんぴんち!?
右往左往していてもらちがあかないので紀州に残る44000で対処させることに。岡崎から精鋭、義光徳川幸村を転進させる。間に合うか?
筒井城からは堺に向けて増援7500が来てるし!うわぁぁぁ!ここはいったん退いて…
いくら知力が低い当主でも、支える部下が優秀です。
昌幸らには勝算があったらしく。
ついに堺港接岸、攻撃開始。
あれ?あれれ?
優秀な鉄砲防御であれば紙のように吹っ飛んでしまう小舟がなかなか減りません。
そうなのです…織田も慌てて対処したせいか、堺港に鉄砲が一丁もない!堺なのに!
弓対弓の戦いとなれば、これはもう数が多い方が勝ち!
堺の防壁を突破し陸に上がります。陸に上がってしまえばこっちのモノです!
佐久間隊の弓部隊はあっという間に消失します。
その間にも、雑賀へ迫る織田軍都合80000合計弱(霧山からも出立)。これを紀州の44000で相手にせねばならないわけで…大丈夫か?
くそっ!御所向かうへ38000の輸送隊が見える!
騎馬だったら追いついて荷を奪えたのに!残念ながら兵科弓で来てしまったので追いつけそうもありません。早く来い!補給部隊!
そんなことをしているウチに小幡信貞、裏切る。
うっかり戦闘にのめり込んでると加増を忘れてしまう。イカンイカン。
この際だから、たまりにたまったお宝を報奨として配下にばらまく。自分で持ってても仕方ないしな。
堺港の修理と傷兵の回復を待っていると、目と鼻の先の筒井城を鳥羽からの部隊が通過していく。
頑張ってくれよ…息子達よ。紀州の橋頭堡をなんとか守り抜くのだ。
…と、そんな祈るような気持ちのところでハッと気づく。
なにやら部隊の移動速度に差がありすぎる・・・・・あれ?
騎馬と鉄砲歩兵はいいとして…。まだ遅れてる部隊がいるぞ?
あれは…破城槌部隊!?
そ、そうか!comの癖として、兵器使用を異様に好むってのがあった!
イケる!
そこにつけ込むんだ!
俄然士気の増す我が軍!
その頃補給部隊が雑賀へ馬を輸送完了、これで戦える!
織田の本体鉄砲隊が筒井を抜ける頃、堺から義守隊、景勝隊が進発。
筒井城を牽制すると鳥羽から来た鉄砲隊は筒井に留まり、雑賀への侵攻を見合わせる。
更に侵攻すると、こちらへ向かって部隊を展開させてくる。
それに合わせてこちらも兵を退く。
そこへ補給部隊到着。騎馬で再度出撃!
紀州では織田・前田玄以討ち死。
出発地点が鳥羽、と遠かったせいか、部隊の移動速度差的に、散発的にやってくることになってしまった織田の足軽部隊など、物の数ではないわ!とばかりに馬上で暴れる義光!
と、ここで誤算が!
筒井城前で破城槌部隊を足止め殲滅していたところ、城からの出撃は想定内だったものの、なんと雑賀に向かった織田の足軽部隊まで戻ってきた Σ(゚Д゚;エーッ!!
義光らの攻勢が勢いありすぎて押し返されたらしい!
想定もしていなかった大乱戦に巻き込まれてしまう堺の部隊!
ここで昌幸の計略コンボと本多隊突撃連鎖が大爆発!
勢いで筒井攻城戦にもつれこんでしまい、なし崩し的に城を絡め取る結果に。
なんかもうgdgdですが、結果的に畿内進出に成功 (;´Д`)
さて。
家中で京侵攻を求める声が少なくない…。筒井城で側女達とキャッキャウフフしてても、背後にプレッシャーを感じる。
戦国大名だからその辺は敏感だ。
特に旧上杉家臣。
我が家の配下に入るまでは、養子とはいえ関東管領家の名跡を継ぐ家系だったことが示すように、古の権威に一方ならぬ敬意を持つ家風であり、粗末な扱いは許さない、という無言の圧力を感じる。
特に、この畿内電撃侵攻を献策した樋口あたりは、口に出さずとも、祖法を疎かにせず、という思いが伝わる。律儀なのは結構なことなのだが…
京に入り、朝廷の勅を得ればこちらが官軍となる。
形式的に織田を尾張越前の一地方大名、こちらは上方を抑えた正義の軍、ということに出来る。
しかしそれはあくまで形式的なことであり…。
たとえ京を抑えても、清洲に60000、敦賀に50000の織田軍が挟撃してくる可能性も…。
と、とりあえずあれだ、筒井城を修復して要塞化しよう!そうしよう!
いや!富山の方が先か。駐留の人材が劣っているしな。
実際上方は京以外はものものしい雰囲気もなく…
(関西南部は軍事バランス的に我が家が睨みを効かせているせいもあり。)
ということで昌幸や樋口と一緒に京見物に…夜も、ウヒヒ(ホテル聚楽第的な意味で。
・・・あれ?なんか変だぉ?
ちょ!ww 御所の周り、全部兵舎と畑じゃねーか!
アルエェ~?なにこの甘美さの全くない都!許せないぉ!ウホッ!って感じの男臭さで充満してるじゃないか!悪魔帝国織田はホモの国だぉ!風流を全く理解してない田舎大名だぉ!
(花街で遊びたかっただけだろ…やらない幸的な意味で…。)
上方中に落書を立てて、織田の暴政を糾弾するぉ!
(勝手に)憤慨して帰った義守一行。
筒井で西方の情報を受け取る。
勝瑞城をなんと長宗我部が織田から奪還!久々の戦果じゃないか?これ!
この勢いなら宇多津も獲れそうだ。よしよし。
これで(織田勢力の拡大懸念が薄い)四国侵攻はしなくてもいいな。
九州では大友と島津がやり合ってる。
懲りない奴らだ。
また織田包囲網発動しないかな…。
あ、そうだ包囲網といえば我が家に発動しないとも限らない。
弱いとはいえ絡まれると面倒なので長宗我部と同盟しておくか。
義光を派遣。
元親の野郎…竹(13歳)を要求してきやがった…なんというロリコン!許せないぉ!却下却下!
勝頼を派遣。
また竹を要求してくる。殿激怒。
竹の相手は我が軍から儂が選んでやるぉ!敵国に人質で行くなんて考えられないぉ!
とはいえ竹は13歳…あまりジジィではかわいそうだ。
若く有望な家臣といえば…幸村か政宗かのぅ。政宗は中二病が酷い、というもっぱらの評判だし、ここは幸村でも娶せるか…。両者とも気に入ってくれれば良いが…
「まことにうれしいかぎりでございます」
よ…よかったのぅ…父は涙で前が見えないぉ…グスン。
というわけで再度土佐に信繁を派遣。
どうだ!これでもう竹は人妻。四国の田舎なんぞには嫁に出せないぉ!
はぁぁ!?、真田信幸ですか!?
なんという態度L…
交渉中も、倍の戦力で挑んだ宇多津で織田に惨敗してたくせに…
わかったぉ…どうせすぐもどってくるんだから、ちょっと四国に行ってきてくれ、信幸よ…。
あ、宇多津で敗走してるところを討ち取られた。
長宗我部よええええええええええ!
とまぁ姫外交なんかしてると、樋口と昌幸が揃ってやってきた。
「京侵攻の準備が整いました。」
え?…マジで?行くの?ほんとに?
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(前回のあらすじ)
どうにも睨み合いで膠着状態が続いていた関東覇者・最上家と京を抑える織田家。
それを打開する一手として南紀強襲を果たす。
追加の補給部隊も到着したことで畿内での作戦行動を行い余裕も出てきた。
そんな我が家、畿内侵攻を推し進める論に押されて堺への強襲上陸を試みるが、織田に先手を打たれ、もしや絶体絶命!?
義守が堺沖でアウアウ状態だった頃、もしや浜松でも狙っているのでは?と思っていた鳥羽の大軍勢がなんと(筒井城周り・陸戦で)雑賀を狙ってくる!なぜそこから!?
しかもざっと見て5万以上の部隊がやってくる!こちらの城はまだ全改修が終わってないし!我が家ぴんぴんち!?
右往左往していてもらちがあかないので紀州に残る44000で対処させることに。岡崎から精鋭、義光徳川幸村を転進させる。間に合うか?
筒井城からは堺に向けて増援7500が来てるし!うわぁぁぁ!ここはいったん退いて…
いくら知力が低い当主でも、支える部下が優秀です。
昌幸らには勝算があったらしく。
ついに堺港接岸、攻撃開始。
あれ?あれれ?
優秀な鉄砲防御であれば紙のように吹っ飛んでしまう小舟がなかなか減りません。
そうなのです…織田も慌てて対処したせいか、堺港に鉄砲が一丁もない!堺なのに!
弓対弓の戦いとなれば、これはもう数が多い方が勝ち!
堺の防壁を突破し陸に上がります。陸に上がってしまえばこっちのモノです!
佐久間隊の弓部隊はあっという間に消失します。
その間にも、雑賀へ迫る織田軍都合80000合計弱(霧山からも出立)。これを紀州の44000で相手にせねばならないわけで…大丈夫か?
くそっ!御所向かうへ38000の輸送隊が見える!
騎馬だったら追いついて荷を奪えたのに!残念ながら兵科弓で来てしまったので追いつけそうもありません。早く来い!補給部隊!
そんなことをしているウチに小幡信貞、裏切る。
うっかり戦闘にのめり込んでると加増を忘れてしまう。イカンイカン。
この際だから、たまりにたまったお宝を報奨として配下にばらまく。自分で持ってても仕方ないしな。
堺港の修理と傷兵の回復を待っていると、目と鼻の先の筒井城を鳥羽からの部隊が通過していく。
頑張ってくれよ…息子達よ。紀州の橋頭堡をなんとか守り抜くのだ。
…と、そんな祈るような気持ちのところでハッと気づく。
なにやら部隊の移動速度に差がありすぎる・・・・・あれ?
騎馬と鉄砲歩兵はいいとして…。まだ遅れてる部隊がいるぞ?
あれは…破城槌部隊!?
そ、そうか!comの癖として、兵器使用を異様に好むってのがあった!
イケる!
そこにつけ込むんだ!
俄然士気の増す我が軍!
その頃補給部隊が雑賀へ馬を輸送完了、これで戦える!
織田の本体鉄砲隊が筒井を抜ける頃、堺から義守隊、景勝隊が進発。
筒井城を牽制すると鳥羽から来た鉄砲隊は筒井に留まり、雑賀への侵攻を見合わせる。
更に侵攻すると、こちらへ向かって部隊を展開させてくる。
それに合わせてこちらも兵を退く。
そこへ補給部隊到着。騎馬で再度出撃!
紀州では織田・前田玄以討ち死。
出発地点が鳥羽、と遠かったせいか、部隊の移動速度差的に、散発的にやってくることになってしまった織田の足軽部隊など、物の数ではないわ!とばかりに馬上で暴れる義光!
と、ここで誤算が!
筒井城前で破城槌部隊を足止め殲滅していたところ、城からの出撃は想定内だったものの、なんと雑賀に向かった織田の足軽部隊まで戻ってきた Σ(゚Д゚;エーッ!!
義光らの攻勢が勢いありすぎて押し返されたらしい!
想定もしていなかった大乱戦に巻き込まれてしまう堺の部隊!
ここで昌幸の計略コンボと本多隊突撃連鎖が大爆発!
勢いで筒井攻城戦にもつれこんでしまい、なし崩し的に城を絡め取る結果に。
なんかもうgdgdですが、結果的に畿内進出に成功 (;´Д`)
さて。
家中で京侵攻を求める声が少なくない…。筒井城で側女達とキャッキャウフフしてても、背後にプレッシャーを感じる。
戦国大名だからその辺は敏感だ。
特に旧上杉家臣。
我が家の配下に入るまでは、養子とはいえ関東管領家の名跡を継ぐ家系だったことが示すように、古の権威に一方ならぬ敬意を持つ家風であり、粗末な扱いは許さない、という無言の圧力を感じる。
特に、この畿内電撃侵攻を献策した樋口あたりは、口に出さずとも、祖法を疎かにせず、という思いが伝わる。律儀なのは結構なことなのだが…
京に入り、朝廷の勅を得ればこちらが官軍となる。
形式的に織田を尾張越前の一地方大名、こちらは上方を抑えた正義の軍、ということに出来る。
しかしそれはあくまで形式的なことであり…。
たとえ京を抑えても、清洲に60000、敦賀に50000の織田軍が挟撃してくる可能性も…。
と、とりあえずあれだ、筒井城を修復して要塞化しよう!そうしよう!
いや!富山の方が先か。駐留の人材が劣っているしな。
実際上方は京以外はものものしい雰囲気もなく…
(関西南部は軍事バランス的に我が家が睨みを効かせているせいもあり。)
ということで昌幸や樋口と一緒に京見物に…夜も、ウヒヒ(ホテル聚楽第的な意味で。
・・・あれ?なんか変だぉ?
ちょ!ww 御所の周り、全部兵舎と畑じゃねーか!
アルエェ~?なにこの甘美さの全くない都!許せないぉ!ウホッ!って感じの男臭さで充満してるじゃないか!悪魔帝国織田はホモの国だぉ!風流を全く理解してない田舎大名だぉ!
(花街で遊びたかっただけだろ…やらない幸的な意味で…。)
上方中に落書を立てて、織田の暴政を糾弾するぉ!
(勝手に)憤慨して帰った義守一行。
筒井で西方の情報を受け取る。
勝瑞城をなんと長宗我部が織田から奪還!久々の戦果じゃないか?これ!
この勢いなら宇多津も獲れそうだ。よしよし。
これで(織田勢力の拡大懸念が薄い)四国侵攻はしなくてもいいな。
九州では大友と島津がやり合ってる。
懲りない奴らだ。
また織田包囲網発動しないかな…。
あ、そうだ包囲網といえば我が家に発動しないとも限らない。
弱いとはいえ絡まれると面倒なので長宗我部と同盟しておくか。
義光を派遣。
元親の野郎…竹(13歳)を要求してきやがった…なんというロリコン!許せないぉ!却下却下!
勝頼を派遣。
また竹を要求してくる。殿激怒。
竹の相手は我が軍から儂が選んでやるぉ!敵国に人質で行くなんて考えられないぉ!
とはいえ竹は13歳…あまりジジィではかわいそうだ。
若く有望な家臣といえば…幸村か政宗かのぅ。政宗は中二病が酷い、というもっぱらの評判だし、ここは幸村でも娶せるか…。両者とも気に入ってくれれば良いが…
「まことにうれしいかぎりでございます」
よ…よかったのぅ…父は涙で前が見えないぉ…グスン。
というわけで再度土佐に信繁を派遣。
どうだ!これでもう竹は人妻。四国の田舎なんぞには嫁に出せないぉ!
はぁぁ!?、真田信幸ですか!?
なんという態度L…
交渉中も、倍の戦力で挑んだ宇多津で織田に惨敗してたくせに…
わかったぉ…どうせすぐもどってくるんだから、ちょっと四国に行ってきてくれ、信幸よ…。
あ、宇多津で敗走してるところを討ち取られた。
長宗我部よええええええええええ!
とまぁ姫外交なんかしてると、樋口と昌幸が揃ってやってきた。
「京侵攻の準備が整いました。」
え?…マジで?行くの?ほんとに?
信長革新・s1最上家リプレイ。その9。地獄の北陸戦(主に坊主的な意味で)その2の巻。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-685.html
さて。蓮沼城。
傷兵が56000もいるだけに迂闊に動けない。
この傷兵を相手にみすみす渡してしまうのはもったいなので、修復して傷兵が全回復するまで蓮沼は防衛体制。
そんな中、織田も消耗が激しかったせいか動きがない。
ちょこちょこと長宗我部をいじめている程度だ。
しかし相手が弱っている時こそ好機!と
幸村が失態を取り戻すべく出兵を願い出ているので、桜洞を攻める案が軍議で出るが慎重論も強い。
何故なら桜洞の背後には93000を抱える岐阜城がある。おそらく織田の本軍であろう。
これと北陸残存織田軍の挟撃はまだまだ侮れない。
九州では大友が62000の兵で門司奪還を狙っているようだ。
これは織田軍も黙っていまい。
それに乗じて(有力武将が西に行ってる間に)出兵することも選択肢に挙げられる。
しっかし長宗我部弱えぇなぁ~…。
体制を整えつつ、夏になった頃、再度軍議。
議題はやはり膠着状態にある織田を如何に攻めるか?桜洞を攻めて全面決戦になるのは得策か?に終始。
富山に数ヶ月滞留する戦闘部隊の諸将も、踊ってばかりの会議に飽き気味。
それはそうだ、東日本でも抜きんでた猛将揃いになったしなぁ…我が家も。
と、早くも懐古モードのお館様に一度は桜洞進軍を却下された幸村から具申が。
「浜松を落としては如何か?」と。
浜松はいくら軍港とはいえ、堅牢な城に比べたらはるかに落としやすい拠点であることは間違いない。
しかもその背後は手薄な岡崎城と濃尾平野が目と鼻の先、というわけだ。
「今浜松を落とせば、その先には鳥羽もあります。織田軍が岡崎に気を取られている隙に鳥羽あたり橋頭堡を築ければ非常に面白いと思われます。」
ここで本多正信にその案を諮問すると、
「若武者の大言壮語はさておき、その先の岡崎をうかがえば、未だ健在の飯田城61000の兵の増援が予想されます。それを深志と挟撃するのはなかなか良策かと。」
信州から織田の飯田城60000を駆逐するか…
なかなかに甘美な響きではある。
桜洞41000+岐阜93000+北陸残存織田軍を相手にするより安全性も高そうだしなー…。
よし!幸村の案を採用する!浜松攻めじゃ!落としたらすぐに岡崎を狙うのじゃ!
飯田城の兵が出たら背後から深志の部隊を出撃!
駿府から三部隊で浜松攻め開始!…が、出た瞬間を狙って?織田軍が敦賀から出る!七尾攻めだ!
我が軍の蓮沼城は七尾への通り道なわけで、交戦するつもりが無くても交戦になる!
まだ城には20000の傷兵が…
戻るべきか??
蓮沼の義が気になる…。
北陸を下ってくる織田勢は草の情報に依れば約50000。桜洞、岐阜との連携あるか?
深志と甲斐に派遣した(飯田城挟撃用の)部隊のとんぼ返りを決定。
進軍してきた滝川一益隊と本多隊が蓮沼城前で激突!背後を獲った安東隊が素晴らしい動き!
佐久間盛政隊は既に厭戦の気配。
早くも崩れる織田の片翼を追撃すると、そこへ入れ替わりでやってくる福島正則隊と小西行長隊!
一方浜松では失われたルーツを取り戻そうとしてか?
徳川-井伊の騎馬連鎖が炸裂!
北陸では我が軍の機動大砲兵器、上杉景勝の車掛かり三連コンボが火を噴く!一度は安国寺に弾かれるが、二度目爆発!さしもの福島隊も168まで減らされてしまう!恐ろしい威力だ!
織田軍をあらかた敗走に至らしめ、残るは御山御坊…となったが、ここで考える。
果たしてここで進んで良いものか?と。
御山は残して本願寺に攻めさせた方がいいかも?と判断してひとまずここは撤退することにする。
蓮沼の残り14000だった傷兵が36000に増えとるわw
また本願寺から要請かよ…御崎御坊攻めって、ほんと、虫のいい坊主どもだよ…
誰かに5000ぐらい兵を持たせて突っ込ませるか?うーむ…。
岐阜の信長動く!
…って築城かよ!しかも深志かよ!狂ったか?信長?それとも完全に舐められてる?
その頃深志に着陣していた我が家の宿将達、その挑発的態度に激怒!先を争うように出陣の許可を願い出てくる。
とりあえず本庄隊を国境付近まで出してみる。
北陸では本願寺の要請に答え、予備人材から太田三楽齋-小幡を潰れてもいい覚悟で御山へ向かわせる。
当然のように鉄砲櫓で兵を削られ、出撃してきた福島隊にボッコボコ。敢えなく壊滅する。
坊主どもはまだ来ない!バカにしてんのか? (゚Д゚)≡゚д゚)、カァー ペッ!!
四国では長宗我部がボッコボコにされてる…よええええ…。
しかし思った。
ここで本願寺の侵攻に加勢して、坊主どもが加賀の一部を切り取ったら…
それはそれで我が家にとっては素敵なことじゃね?
…となれば急遽軍を編成して、本願寺に協力することにする。
太田三楽齋に芳賀保科、それに小幡仁科板倉、相馬北信遠藤の急造軍を向かわせる。
途中まではなかなかいい感じで進んでいたものの、最後の砦、福島隊がかなりの抵抗を見せてなかなか落ちない。戦法も山中鹿之助に防御される。
しかしここを突破すれば…っておい!坊主先に逃げ始めてるし!! Σ(゚Д゚;エーッ!!
ひでぇ!
小幡隊、相馬隊敢えなく壊滅。
坊主を信用した我が家がバカだった!
第三次北陸会戦は無惨な敗北に終わる…。
一方、岩村。
本庄隊が目の前なのに、なんの躊躇いもなく築城を始める信長隊、っていうか一夜城完成。
しかしこれに怒る本庄隊、すぐさま攻撃を仕掛ける。
そして何事もなかったように落ちる岩村城。
・・・・なんだったんだ?信長?何がしたかったんだ?
さて、補給を終えた浜松城、当初の狙い通り、岡崎を狙う。
考えてみればこの城攻め、幸村の汚名返上の機会だけでなく、家康の奪還作戦とも言えた。
岡崎を守るは加藤清正。
その城攻めの最中、伝令が!
「織田軍が岩村城を目指しています」
え?なにー??そういう作戦??わざと城を明け渡して攻めるっていう??
あわてふためく岩村城の本庄、ちゃっかりと先に逃げる忠勝。
馬を連れて騎馬で逃げようとするとどうしても、傷兵の分、足軽が余る。
これは走って逃げなければならない・・・・・
その殿の役を真壁が引き受けることに。こりゃ死にものぐるいで逃げないと深志までは辿り着けないぞ…
岡崎は攻めの清正、守りの光秀と、少数ながらかなりのバランスを誇る。攻めにくい。
しかしなんとか落とす。
明智光秀、処断。
幸いなことに織田の追撃がなかった中山道では本庄と真壁が這々の体で深志に帰還する。本多勢は涼しい顔だ。
いったい何がしたかったんだよ?信長は?
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-685.html
さて。蓮沼城。
傷兵が56000もいるだけに迂闊に動けない。
この傷兵を相手にみすみす渡してしまうのはもったいなので、修復して傷兵が全回復するまで蓮沼は防衛体制。
そんな中、織田も消耗が激しかったせいか動きがない。
ちょこちょこと長宗我部をいじめている程度だ。
しかし相手が弱っている時こそ好機!と
幸村が失態を取り戻すべく出兵を願い出ているので、桜洞を攻める案が軍議で出るが慎重論も強い。
何故なら桜洞の背後には93000を抱える岐阜城がある。おそらく織田の本軍であろう。
これと北陸残存織田軍の挟撃はまだまだ侮れない。
九州では大友が62000の兵で門司奪還を狙っているようだ。
これは織田軍も黙っていまい。
それに乗じて(有力武将が西に行ってる間に)出兵することも選択肢に挙げられる。
しっかし長宗我部弱えぇなぁ~…。
体制を整えつつ、夏になった頃、再度軍議。
議題はやはり膠着状態にある織田を如何に攻めるか?桜洞を攻めて全面決戦になるのは得策か?に終始。
富山に数ヶ月滞留する戦闘部隊の諸将も、踊ってばかりの会議に飽き気味。
それはそうだ、東日本でも抜きんでた猛将揃いになったしなぁ…我が家も。
と、早くも懐古モードのお館様に一度は桜洞進軍を却下された幸村から具申が。
「浜松を落としては如何か?」と。
浜松はいくら軍港とはいえ、堅牢な城に比べたらはるかに落としやすい拠点であることは間違いない。
しかもその背後は手薄な岡崎城と濃尾平野が目と鼻の先、というわけだ。
「今浜松を落とせば、その先には鳥羽もあります。織田軍が岡崎に気を取られている隙に鳥羽あたり橋頭堡を築ければ非常に面白いと思われます。」
ここで本多正信にその案を諮問すると、
「若武者の大言壮語はさておき、その先の岡崎をうかがえば、未だ健在の飯田城61000の兵の増援が予想されます。それを深志と挟撃するのはなかなか良策かと。」
信州から織田の飯田城60000を駆逐するか…
なかなかに甘美な響きではある。
桜洞41000+岐阜93000+北陸残存織田軍を相手にするより安全性も高そうだしなー…。
よし!幸村の案を採用する!浜松攻めじゃ!落としたらすぐに岡崎を狙うのじゃ!
飯田城の兵が出たら背後から深志の部隊を出撃!
駿府から三部隊で浜松攻め開始!…が、出た瞬間を狙って?織田軍が敦賀から出る!七尾攻めだ!
我が軍の蓮沼城は七尾への通り道なわけで、交戦するつもりが無くても交戦になる!
まだ城には20000の傷兵が…
戻るべきか??
蓮沼の義が気になる…。
北陸を下ってくる織田勢は草の情報に依れば約50000。桜洞、岐阜との連携あるか?
深志と甲斐に派遣した(飯田城挟撃用の)部隊のとんぼ返りを決定。
進軍してきた滝川一益隊と本多隊が蓮沼城前で激突!背後を獲った安東隊が素晴らしい動き!
佐久間盛政隊は既に厭戦の気配。
早くも崩れる織田の片翼を追撃すると、そこへ入れ替わりでやってくる福島正則隊と小西行長隊!
一方浜松では失われたルーツを取り戻そうとしてか?
徳川-井伊の騎馬連鎖が炸裂!
北陸では我が軍の機動大砲兵器、上杉景勝の車掛かり三連コンボが火を噴く!一度は安国寺に弾かれるが、二度目爆発!さしもの福島隊も168まで減らされてしまう!恐ろしい威力だ!
織田軍をあらかた敗走に至らしめ、残るは御山御坊…となったが、ここで考える。
果たしてここで進んで良いものか?と。
御山は残して本願寺に攻めさせた方がいいかも?と判断してひとまずここは撤退することにする。
蓮沼の残り14000だった傷兵が36000に増えとるわw
また本願寺から要請かよ…御崎御坊攻めって、ほんと、虫のいい坊主どもだよ…
誰かに5000ぐらい兵を持たせて突っ込ませるか?うーむ…。
岐阜の信長動く!
…って築城かよ!しかも深志かよ!狂ったか?信長?それとも完全に舐められてる?
その頃深志に着陣していた我が家の宿将達、その挑発的態度に激怒!先を争うように出陣の許可を願い出てくる。
とりあえず本庄隊を国境付近まで出してみる。
北陸では本願寺の要請に答え、予備人材から太田三楽齋-小幡を潰れてもいい覚悟で御山へ向かわせる。
当然のように鉄砲櫓で兵を削られ、出撃してきた福島隊にボッコボコ。敢えなく壊滅する。
坊主どもはまだ来ない!バカにしてんのか? (゚Д゚)≡゚д゚)、カァー ペッ!!
四国では長宗我部がボッコボコにされてる…よええええ…。
しかし思った。
ここで本願寺の侵攻に加勢して、坊主どもが加賀の一部を切り取ったら…
それはそれで我が家にとっては素敵なことじゃね?
…となれば急遽軍を編成して、本願寺に協力することにする。
太田三楽齋に芳賀保科、それに小幡仁科板倉、相馬北信遠藤の急造軍を向かわせる。
途中まではなかなかいい感じで進んでいたものの、最後の砦、福島隊がかなりの抵抗を見せてなかなか落ちない。戦法も山中鹿之助に防御される。
しかしここを突破すれば…っておい!坊主先に逃げ始めてるし!! Σ(゚Д゚;エーッ!!
ひでぇ!
小幡隊、相馬隊敢えなく壊滅。
坊主を信用した我が家がバカだった!
第三次北陸会戦は無惨な敗北に終わる…。
一方、岩村。
本庄隊が目の前なのに、なんの躊躇いもなく築城を始める信長隊、っていうか一夜城完成。
しかしこれに怒る本庄隊、すぐさま攻撃を仕掛ける。
そして何事もなかったように落ちる岩村城。
・・・・なんだったんだ?信長?何がしたかったんだ?
さて、補給を終えた浜松城、当初の狙い通り、岡崎を狙う。
考えてみればこの城攻め、幸村の汚名返上の機会だけでなく、家康の奪還作戦とも言えた。
岡崎を守るは加藤清正。
その城攻めの最中、伝令が!
「織田軍が岩村城を目指しています」
え?なにー??そういう作戦??わざと城を明け渡して攻めるっていう??
あわてふためく岩村城の本庄、ちゃっかりと先に逃げる忠勝。
馬を連れて騎馬で逃げようとするとどうしても、傷兵の分、足軽が余る。
これは走って逃げなければならない・・・・・
その殿の役を真壁が引き受けることに。こりゃ死にものぐるいで逃げないと深志までは辿り着けないぞ…
岡崎は攻めの清正、守りの光秀と、少数ながらかなりのバランスを誇る。攻めにくい。
しかしなんとか落とす。
明智光秀、処断。
幸いなことに織田の追撃がなかった中山道では本庄と真壁が這々の体で深志に帰還する。本多勢は涼しい顔だ。
いったい何がしたかったんだよ?信長は?
信長革新・s1最上家リプレイ。その8。地獄の北陸戦(主に坊主的な意味で)の巻。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-681.html
1582年正月。
真田幸村、伊達政宗元服キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!! これで勝つる!!!!
徳川併合に続いて人材が強まる!
もうこれで心おきなく織田軍をバンバン処断していけるぉ!(オイオイ
そんなこんなしてるウチに能登半島でドンパチ始まってる。織田が本願寺を駆逐するべく多部隊で攻めている。
人材的には二軍だが、かなり部隊数は多い。
ここは富山防衛を出来なかったせめてもの罪滅ぼしとして、輪島から助太刀することに。
…と、いうのは方便で(笑)
少しでも織田家を削りたい&幸村の初陣を飾ってしまおう、という魂胆で進軍したのだが…
他の地域がちょっと手詰まり気味なので思い切って精鋭の人材を送り込んだら…強い強い!上杉武田のエッセンスを詰め込んだ我が軍、いくら織田といっても二軍には全然通用します!ワッハッハ!(坂本少佐風)
北畠具教を討ち死にに追い込み、山中鹿之助を押しまくり、鳥井元忠隊を壊滅させる。
敵を蓮沼城に追い込んだものの、藤堂高虎の戦法防御に手こずるうちに本願寺との同盟期限あと一ヶ月。
そろそろ時間切れか、と潔く退くことに。
あとは本願寺に任せるわ。
輪島に戻って捕虜検分。
横山喜内、籾井、斎藤利三、蜂須賀正勝、北条氏邦、鈴木重朝、荒木、戸川・・・・全員処断!
織田に与する奴は悪魔
織田に与する奴は悪魔
たいせつなことなので二回いいました (=゚ω゚)ノ
この織田家臣大量断罪のおかげで、我が家の抱える武将数がTOPに躍り出るw
喜ぶべきか苦笑するべきかw
この会戦の最中、地味に里美義康が織田に裏切ってる。
…わかってるよな?捕虜になった暁にはどうなるか?フフフ…。
さて、北方戦線。
本願寺は傷兵含めると44000を七尾に構える。
さすがにこの数なら安易に押しつぶされるということもあるまい。人材も悪くないし。
ということで、ちょっと次の一手を思案する。
我が家のプライオリティをどこにおくべきか?と考えると、やはり悪魔の手先・織田家の力を少しでも削ぐことに傾注するべきだ。これは変わらない。
今や天下は中央が織田、関東が我が家、そしてちょっと落ちて島津家の三分になっている。
うーん…悩む当主。
さて、武将がかなり揃ったからして、ここは残った騎馬技術開発を。
政宗93、樋口98、信繁82で。全員戦闘要員か…織田との全面決戦も遠くないし二軍で開発させても良いが…
草から偵察の報がもたらされる。富山57000がやっかいな北陸戦線、背後の一乗谷には128000が控えている Σ(゚Д゚;!!
信長は能登で惨敗したことをよほど根に持っているのか??それとも坊主が死ぬほど嫌いなのか?
織田の西方戦線は、ついに毛利が風前の灯火。参ったなぁ…毛利の人材も飲み込むのかよ、織田家め…。
というか、織田の本気はどう見ても西方ではなく北陸です、ありがとうございました。
もうちょっと調べたら長宗我部と織田との同盟もあと四ヶ月…どうする長宗我部w
本願寺との同盟期限切れる。長宗我部は織田と同盟延長。我が家はどうするべきか…。
捕虜の河田長親が織田家に登用される…悪魔に洗脳されおって…。
まぁ輪島からの出兵を考えると(本願寺との同盟も)七尾の無事通行権と思えばいいか…。と、本願寺に義を派遣。大友家にも家康を派遣。
本願寺から拒否…今度は綱成を派遣。また蠣崎(季)を人質要求される。どんだけ髭オヤジ好きなんだよ、坊主ども…。
大友からは真田信幸を要求される。 (;´Д`)<エエエエエエエエエエエ!
そんなん却下だよ、却下!
生駒親正を送り込んだら今度は酒井を要求される。…ま、いっか。足軽を開発するつもりも今のところ無いし…。
と、三カ国だけの地味な織田包囲網、ここに完成!島津はハブ。
その間に織田は富山から魚津に56000輸送。一乗谷の127000も動く!
毛利家滅亡。
いよいよ織田の127000が蓮沼城へと動く。清洲の32000が桜洞城へ。
これはもう先手を打つしかないか?
やられる前にやるかっ!
編成。指揮兵力-知略-武力-連携用。
義守 昌幸 義輝 18000
義光 延沢 勝頼 14500
大浦 飯富 景勝 15500
徳川 渡辺 井伊 14500
本多 風魔 柳生 15000
安東 真壁 本庄 13500
幸村 榊原 綱成 15000
最上義 服部 山上 11000
安東隊を先陣に春日山から魚津に出撃。続いて義光、家康隊。
四度目?の織田家包囲網。今回ようやく参加へ!
北陸戦線に物量が集中している今、西の大友と島津がどれだけ頑張ってくれるやら…
案の定、準備不足で油断しきってる魚津城、増田長盛隊とか出てきても無駄無駄無駄ぁぁぁぁ!
本多隊の鬼突撃でどんどん削る!
サックリと魚津を落としたかと思ったら、織田は魚津を見捨てて援軍すら出さず、七尾の本願寺を攻めてるし! Σ(゚Д゚;!!<天魔王、テラ冷酷!!
磯野、遊佐、増田…廃墟になった魚津城で処断!
おい…里美義頼もいるな。裏切り者はどうなるかわかってんだろうな?市中引き回しの上斬首じゃ!切腹など許さぬわ!…と、まぁ、七尾が襲われてる今、そんな暇はないのであっさり処断。
即座に富山へ侵攻!
富山は修復も完全ではなく、兵は3000。これは速効落として七尾方面に急がねば。
それはそうと魚津には全軍を出撃させる兵がない…春日山から再出撃させるか?いや!ここは輪島から本願寺救援に向かわすか!
丁度残ってた朝信-相馬-保科もついでに出陣させる (*'ヮ')ノ+゚ *。
あ、余裕の富山攻め、とか思ってたら七尾を攻めるはずだった織田の本体がこっち向かってきてる!
これは富山で前面衝突か!
富山城西北の狭い橋の部分で両軍が激突する!
山中鹿之助と本多隊が一進一退の激戦!
…の最中に、織田が捕虜交換を持ちかけてくる。
あれ?本多家のみなさん?正純と正信が捕まってたのか。これは徳川家が我が軍門に下る前の捕虜か…
ここは市川と交換。正純もすぐに助けてやるから、心配すんなー。心おきなく戦え、忠勝!
そんな中、前田利家、討ち死。
乱戦の中で見事に散る。
敵ながら天晴れ、と感慨にふけっている最中、本願寺から要請の使者が。
「御崎御坊を攻撃してくれ」
バカじゃないの!?、あんな鉄砲櫓地帯に飛び込めってか!?
もうこのクソ坊主どもの空気の読めなさは最低最悪!
お前らが勝手にいけよ!(激怒)
ルルーシュに土の味を舐めさせるウザク並みの憤慨で坊主の使者・蒲生氏郷を追い返す!
まったく!一向一揆チネ!
…って氏郷、本願寺にいたのか…坊主に使われるぐらいなら我が家に来いよ…。
激しいぶつかり合いの後、ついに山中隊、伊東隊壊滅!堀尾の弓部隊に襲いかかる!
って弓かよ?鉄砲はどうしたんだ?織田家?
数秒で消し飛んでしまう堀尾弓隊!
そうこうしてるうちに輪島の部隊が蓮沼にとりつく!
まずい!そこにはまだ80000の兵がいる!
大急ぎで富山に転進してきた織田の残存部隊を文字通り蹴散らすと、輪島部隊の援護に向かう!富山城は捨て置け!どうせすぐ落ちる!
うち続く苛烈な戦闘。
それでも指揮官に各国守護クラスを揃えた我が家の軍団は堅牢だ。
多部隊好きのcomが各個撃破で次々潰されるのに比べたら雲泥の差となって現れてくる。
長い散発攻撃を耐えきった我が軍は蓮沼を獲り、敗走していく部隊を追撃していく。
おっと、そっちは鉄砲櫓地帯。とりあえず腰を落ち着けるための富山攻めが先決だ、と進軍命令を出す。
・・・が、一部隊取り残されている。あ?幸村隊が鉄砲櫓前で混乱してるじゃないか!
こんなところで経験不足が出たか!
ヤバイ!御崎御坊からは残党狩り狩りの部隊が来ている!
富山攻めの部隊に反転を指示して幸村救出へ向かわせる!
急遽編成の部隊で一番近くの蓮沼から幸村救出に向かう最上義。鉄砲櫓の雨に打たれながら、なんとか救出!
真田幸村17歳、義36歳の冬のことでありました…。
しかし終わってみて確認すると、蓮沼城、傷兵56000w
ここにきても織田主力と会えないってどういうこと?と、四国に草を放ってみると、うはwwwww 長宗我部、福島正則に 攻 め ら れ て る w w w
同盟切れるの早くね?再同盟したのってウチと本願寺が再同盟したのと同じ頃だったような…
どっちかが同盟破棄したのか?これは?
残り4000弱だった富山城を落として、北陸戦線は一段落。
さて、戦後処理。
北陸の櫓地獄を造ったであろう極悪人、細川藤孝、伊奈忠次、安藤良整
北方方面の責任武将の一人であったであろう池田輝政
日本海からの寒風吹きすさぶ中、処断。
こうして第二次北陸会戦は幕を閉じる。
・・・あれ?本願寺は?あのクソ坊主ども、なにもやってねぇじゃねーかっ!(,,゚Д゚)
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-681.html
1582年正月。
真田幸村、伊達政宗元服キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!! これで勝つる!!!!
徳川併合に続いて人材が強まる!
もうこれで心おきなく織田軍をバンバン処断していけるぉ!(オイオイ
そんなこんなしてるウチに能登半島でドンパチ始まってる。織田が本願寺を駆逐するべく多部隊で攻めている。
人材的には二軍だが、かなり部隊数は多い。
ここは富山防衛を出来なかったせめてもの罪滅ぼしとして、輪島から助太刀することに。
…と、いうのは方便で(笑)
少しでも織田家を削りたい&幸村の初陣を飾ってしまおう、という魂胆で進軍したのだが…
他の地域がちょっと手詰まり気味なので思い切って精鋭の人材を送り込んだら…強い強い!上杉武田のエッセンスを詰め込んだ我が軍、いくら織田といっても二軍には全然通用します!ワッハッハ!(坂本少佐風)
北畠具教を討ち死にに追い込み、山中鹿之助を押しまくり、鳥井元忠隊を壊滅させる。
敵を蓮沼城に追い込んだものの、藤堂高虎の戦法防御に手こずるうちに本願寺との同盟期限あと一ヶ月。
そろそろ時間切れか、と潔く退くことに。
あとは本願寺に任せるわ。
輪島に戻って捕虜検分。
横山喜内、籾井、斎藤利三、蜂須賀正勝、北条氏邦、鈴木重朝、荒木、戸川・・・・全員処断!
織田に与する奴は悪魔
織田に与する奴は悪魔
たいせつなことなので二回いいました (=゚ω゚)ノ
この織田家臣大量断罪のおかげで、我が家の抱える武将数がTOPに躍り出るw
喜ぶべきか苦笑するべきかw
この会戦の最中、地味に里美義康が織田に裏切ってる。
…わかってるよな?捕虜になった暁にはどうなるか?フフフ…。
さて、北方戦線。
本願寺は傷兵含めると44000を七尾に構える。
さすがにこの数なら安易に押しつぶされるということもあるまい。人材も悪くないし。
ということで、ちょっと次の一手を思案する。
我が家のプライオリティをどこにおくべきか?と考えると、やはり悪魔の手先・織田家の力を少しでも削ぐことに傾注するべきだ。これは変わらない。
今や天下は中央が織田、関東が我が家、そしてちょっと落ちて島津家の三分になっている。
うーん…悩む当主。
さて、武将がかなり揃ったからして、ここは残った騎馬技術開発を。
政宗93、樋口98、信繁82で。全員戦闘要員か…織田との全面決戦も遠くないし二軍で開発させても良いが…
草から偵察の報がもたらされる。富山57000がやっかいな北陸戦線、背後の一乗谷には128000が控えている Σ(゚Д゚;!!
信長は能登で惨敗したことをよほど根に持っているのか??それとも坊主が死ぬほど嫌いなのか?
織田の西方戦線は、ついに毛利が風前の灯火。参ったなぁ…毛利の人材も飲み込むのかよ、織田家め…。
というか、織田の本気はどう見ても西方ではなく北陸です、ありがとうございました。
もうちょっと調べたら長宗我部と織田との同盟もあと四ヶ月…どうする長宗我部w
本願寺との同盟期限切れる。長宗我部は織田と同盟延長。我が家はどうするべきか…。
捕虜の河田長親が織田家に登用される…悪魔に洗脳されおって…。
まぁ輪島からの出兵を考えると(本願寺との同盟も)七尾の無事通行権と思えばいいか…。と、本願寺に義を派遣。大友家にも家康を派遣。
本願寺から拒否…今度は綱成を派遣。また蠣崎(季)を人質要求される。どんだけ髭オヤジ好きなんだよ、坊主ども…。
大友からは真田信幸を要求される。 (;´Д`)<エエエエエエエエエエエ!
そんなん却下だよ、却下!
生駒親正を送り込んだら今度は酒井を要求される。…ま、いっか。足軽を開発するつもりも今のところ無いし…。
と、三カ国だけの地味な織田包囲網、ここに完成!島津はハブ。
その間に織田は富山から魚津に56000輸送。一乗谷の127000も動く!
毛利家滅亡。
いよいよ織田の127000が蓮沼城へと動く。清洲の32000が桜洞城へ。
これはもう先手を打つしかないか?
やられる前にやるかっ!
編成。指揮兵力-知略-武力-連携用。
義守 昌幸 義輝 18000
義光 延沢 勝頼 14500
大浦 飯富 景勝 15500
徳川 渡辺 井伊 14500
本多 風魔 柳生 15000
安東 真壁 本庄 13500
幸村 榊原 綱成 15000
最上義 服部 山上 11000
安東隊を先陣に春日山から魚津に出撃。続いて義光、家康隊。
四度目?の織田家包囲網。今回ようやく参加へ!
北陸戦線に物量が集中している今、西の大友と島津がどれだけ頑張ってくれるやら…
案の定、準備不足で油断しきってる魚津城、増田長盛隊とか出てきても無駄無駄無駄ぁぁぁぁ!
本多隊の鬼突撃でどんどん削る!
サックリと魚津を落としたかと思ったら、織田は魚津を見捨てて援軍すら出さず、七尾の本願寺を攻めてるし! Σ(゚Д゚;!!<天魔王、テラ冷酷!!
磯野、遊佐、増田…廃墟になった魚津城で処断!
おい…里美義頼もいるな。裏切り者はどうなるかわかってんだろうな?市中引き回しの上斬首じゃ!切腹など許さぬわ!…と、まぁ、七尾が襲われてる今、そんな暇はないのであっさり処断。
即座に富山へ侵攻!
富山は修復も完全ではなく、兵は3000。これは速効落として七尾方面に急がねば。
それはそうと魚津には全軍を出撃させる兵がない…春日山から再出撃させるか?いや!ここは輪島から本願寺救援に向かわすか!
丁度残ってた朝信-相馬-保科もついでに出陣させる (*'ヮ')ノ+゚ *。
あ、余裕の富山攻め、とか思ってたら七尾を攻めるはずだった織田の本体がこっち向かってきてる!
これは富山で前面衝突か!
富山城西北の狭い橋の部分で両軍が激突する!
山中鹿之助と本多隊が一進一退の激戦!
…の最中に、織田が捕虜交換を持ちかけてくる。
あれ?本多家のみなさん?正純と正信が捕まってたのか。これは徳川家が我が軍門に下る前の捕虜か…
ここは市川と交換。正純もすぐに助けてやるから、心配すんなー。心おきなく戦え、忠勝!
そんな中、前田利家、討ち死。
乱戦の中で見事に散る。
敵ながら天晴れ、と感慨にふけっている最中、本願寺から要請の使者が。
「御崎御坊を攻撃してくれ」
バカじゃないの!?、あんな鉄砲櫓地帯に飛び込めってか!?
もうこのクソ坊主どもの空気の読めなさは最低最悪!
お前らが勝手にいけよ!(激怒)
ルルーシュに土の味を舐めさせるウザク並みの憤慨で坊主の使者・蒲生氏郷を追い返す!
まったく!一向一揆チネ!
…って氏郷、本願寺にいたのか…坊主に使われるぐらいなら我が家に来いよ…。
激しいぶつかり合いの後、ついに山中隊、伊東隊壊滅!堀尾の弓部隊に襲いかかる!
って弓かよ?鉄砲はどうしたんだ?織田家?
数秒で消し飛んでしまう堀尾弓隊!
そうこうしてるうちに輪島の部隊が蓮沼にとりつく!
まずい!そこにはまだ80000の兵がいる!
大急ぎで富山に転進してきた織田の残存部隊を文字通り蹴散らすと、輪島部隊の援護に向かう!富山城は捨て置け!どうせすぐ落ちる!
うち続く苛烈な戦闘。
それでも指揮官に各国守護クラスを揃えた我が家の軍団は堅牢だ。
多部隊好きのcomが各個撃破で次々潰されるのに比べたら雲泥の差となって現れてくる。
長い散発攻撃を耐えきった我が軍は蓮沼を獲り、敗走していく部隊を追撃していく。
おっと、そっちは鉄砲櫓地帯。とりあえず腰を落ち着けるための富山攻めが先決だ、と進軍命令を出す。
・・・が、一部隊取り残されている。あ?幸村隊が鉄砲櫓前で混乱してるじゃないか!
こんなところで経験不足が出たか!
ヤバイ!御崎御坊からは残党狩り狩りの部隊が来ている!
富山攻めの部隊に反転を指示して幸村救出へ向かわせる!
急遽編成の部隊で一番近くの蓮沼から幸村救出に向かう最上義。鉄砲櫓の雨に打たれながら、なんとか救出!
真田幸村17歳、義36歳の冬のことでありました…。
しかし終わってみて確認すると、蓮沼城、傷兵56000w
ここにきても織田主力と会えないってどういうこと?と、四国に草を放ってみると、うはwwwww 長宗我部、福島正則に 攻 め ら れ て る w w w
同盟切れるの早くね?再同盟したのってウチと本願寺が再同盟したのと同じ頃だったような…
どっちかが同盟破棄したのか?これは?
残り4000弱だった富山城を落として、北陸戦線は一段落。
さて、戦後処理。
北陸の櫓地獄を造ったであろう極悪人、細川藤孝、伊奈忠次、安藤良整
北方方面の責任武将の一人であったであろう池田輝政
日本海からの寒風吹きすさぶ中、処断。
こうして第二次北陸会戦は幕を閉じる。
・・・あれ?本願寺は?あのクソ坊主ども、なにもやってねぇじゃねーかっ!(,,゚Д゚)