信長革新・s1最上家リプレイ。その7。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-680.html
再編成。智-統-武-連鎖用
義光 新発田(重)真田 14500
大浦 真壁 南部 15500
樋口 延沢 大久保 15500
安東 本庄 北条 13500
最上義 足利 九戸(政) 11000
朝信 義時 景勝 11000
須田 義守 小島 18000 (予備)
樋口→上総守護
大浦→下総守護
安東→越後守護
さて、前回の地図を見ての通り、今箕輪は我が家の勢力圏の中に埋没している。
織田はまた西へシフトした。
時は今しかない!
前回から更に事態は悪化し、富山城を失った本願寺も能登半島に封じ込められ、春日山すらうかがおうという織田北陸軍。
脅威はすぐそこにある。
お館様、軍議にて次なる作戦を発布。
名付けて、武田家ファイナル大作戦。
四方を我が家勢力に囲まれた浮島、箕輪を全方向から攻め落とし、その余勢を駆って小田原まで侵攻する、という計画である。
宇都宮、古河、岩付に駐留する兵力の全てをつぎ込み、電撃作戦で武田家そのものを葬ってしまう!という作戦だ。
全ての準備が万全…とは言えないが、目の前に迫った織田家の脅威は、深志での血みどろ大決戦で全ての将兵が嫌と言うほど味わった。
我が家が生き残るには上杉吸収ぐらいではまだ手ぬるい。武田までも併呑し、駒を増やしていかねばとても織田との決戦には勝てそうにないのだ。
目標は武田家。
今や関東の大部分を我が家に明け渡し、落日の気配濃厚の相手である。
しかし我が家に楽観する将など一人もいない。
本当の敵は敵は濃尾平野、そして越中越後で鋭利な刃を研いでいるのだから。
この作戦は織田家が西へシフトしている間に神速を持って成し遂げられなければならない。
でなければ、織田につけ込まれる隙を与えてしまうのは必定だからだ。
今や武田以上に疲弊を露わにしている徳川、本願寺に何の期待も出来ない!
(まぁ、直近の徳川衰退の原因を造ったのは我が家なのは明白だが…それも徳川側から仕掛けた行為だからなぁ…)
景勝隊を先頭に箕輪を攻める。
景勝が足止めし、その隙に逆方向からの侵攻をスムーズにする…はずだったが、これが腐っても武田武者!
なんと景勝隊が騎馬アタックの連鎖で壊滅させられてしまう!なんてこったい!
予想以上の乱戦に困惑しつつも後に引けない我が軍!そう、近隣の全兵力を割いたこの戦い、敗北はつまり、無防備な関東平野を晒すことを意味する。そうなれば武田は逆侵攻し、関東はどんどん荒れていく。その果てには、おそらくかなりの確率で織田の侵入を易々と許すことになろう。
負けられない戦い。
ようやく城にたどり着くも、案の定戦法は全くもって封じられる。真田昌幸、まさに完封!
ジリジリと城の耐久力を減らすが、決定打もない。
そんな時、いったん潰れた景勝が深志から再度出撃して合流!
大苦戦の末にようやく箕輪落城!
大量12人の捕虜を得て、息つく間もなく南下、武田最後の城・小田原を急襲する!
箕輪城は修理もせず放置!
時を同じくして浜松では徳川を織田が攻めていた。
それなのに家康だけ小田原向かってるし?何考えてるんだ?西へ行け!西へ!
いったんは織田侵攻軍を撃退した本多隊や渡辺隊まで東進して来てるし!
一回ぐらいで安心すんなよ!岡崎城にまだ温存されてる兵力があるじゃねーか!
いわんこっちゃない…織田に浜松落とされてるし…。
武田ファイナル作戦の第二ステージにして最終ステージ、小田原会戦。
岩付で兵の補充は万全。この城の兵を空にしても、もう後顧に何の憂いもない。城にいるだけの兵士をどんどん出撃させる。
しかしそこへやってきたのは本多隊ら徳川三部隊!滅び行く武田なんかより自家の心配しろ!と叫びたくなるが、こうなってしまったのも戦国の世の習い、遠慮無く対峙させていただく。
徳川の援軍を駆逐するより城が先に落ちてしまったので、徳川追撃。仲間の逃走を助けるために盾となる本多隊。どこまで律儀者揃いなんだよ、三河武士は!
小田原会戦の末、伊豆に追いつめた武田へ、朝信を使者に、降伏勧告。
ついに関東の覇者、武田家滅亡。
最後はあっけなかったが、古河正面決戦での強さは忘れないぉ…。誠、天晴れ。
真田昌幸・信幸、武田勝頼・信繁、飯富、山上、ら戦闘の猛者どもが配下に!
武将数133人に達する。
しかし四国に上陸した島津があっさりと駆逐されてるし…
ちゃっかり生き残ってる長宗我部、やはりというかなんというか織田と同盟してるし(笑)
それはそれとして北陸では「助けろ!助けろ!」と矢の催促だった本願寺が加賀を駆逐され七尾に追い込まれている。
つまりそれは我が家にとって、春日山と富山で織田と接したことになるのだな。
こうなると、我が家の戦略は一つである。
徳川併合。
今や日本の中央部に強大な勢力圏を作り、その勢力は九州に届こうかという織田家。
ならば、その矛先が九州を食い尽くさないうちにこちらは西進できるだけ西進するしかない!
織田軍が西に食うべき獲物が無くなった時、その鋭すぎる牙は間違いなく東方に向けられるのだから。
織田家が浜松を攻めている今、もはや一刻の猶予もない。
早急に軍を再編成し、駿府を落とすしかないのだ。
再編成。指揮兵力-知略-武力-連携用。
義守 昌幸 義輝 18000
景勝 朝信 本庄 15500
樋口 none 真壁 保科 15500
大浦 none 小島 鬼庭 15500
義光 none 勝頼 仁科 14500
安東 none 山上 小幡 13500
最上義 none 延沢 南部(晴) 11000
信繁 none 飯富 義信 15000
武田信繁→上野守護
一刻も早く駿府を抑えるため、昌幸・景勝・大浦で急襲する。
小田原との道程に興国寺城があるのだが、あえて岩付甲斐を回って進軍する。
浜松港を織田に抑えられた以上、降伏勧告用の支城は、極力落とすべきではないのだ。
既に城兵が10000もいない駿府城を難なく落とすと…あれ?あれれ?榊原さんなんで浪人でいるの?なんかの手違い?それとも登用する暇すらなかったのか?家康は?とか戸惑ってたら、登用に行くより先に自分から仕官に来たよ。わかってるね!
北陸を見ると七尾で本願寺と織田が本格的に激突してるなぁ…
出来ることなら本願寺の人材も織田には渡したくないところだが…同盟を確認したらあと五ヶ月しかねぇ。
本願寺に加勢したいところだけど、同盟終了後居残りで、名声値を落としたり、いきなり襲われたりするも嫌だしなぁ…。
高天神を襲って廃城にして徳川勢を首尾良く興国寺に閉じこめた!とほくそ笑んでいたら…あれっ?中山道を飯田城へ進む輸送隊が…は?61000!? なんだよ!?第二次深志決戦をやる気満々ですか!?、織田家は!
1581年正月。
降伏勧告をやらせたら日本一?斎藤朝信を興国寺へ送る。
直接対決は少なかったものの、援軍と言うには頑強すぎる布陣で関東を争った徳川家もついに吸収。
しかしどうして朝信はいつも推薦されるんだろう?真面目そうだからかな?武人としてのレベルも高いしなぁ。
とりあえず、これで全地域織田と直接接触することになったわけです。
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再編成。智-統-武-連鎖用
義光 新発田(重)真田 14500
大浦 真壁 南部 15500
樋口 延沢 大久保 15500
安東 本庄 北条 13500
最上義 足利 九戸(政) 11000
朝信 義時 景勝 11000
須田 義守 小島 18000 (予備)
樋口→上総守護
大浦→下総守護
安東→越後守護
さて、前回の地図を見ての通り、今箕輪は我が家の勢力圏の中に埋没している。
織田はまた西へシフトした。
時は今しかない!
前回から更に事態は悪化し、富山城を失った本願寺も能登半島に封じ込められ、春日山すらうかがおうという織田北陸軍。
脅威はすぐそこにある。
お館様、軍議にて次なる作戦を発布。
名付けて、武田家ファイナル大作戦。
四方を我が家勢力に囲まれた浮島、箕輪を全方向から攻め落とし、その余勢を駆って小田原まで侵攻する、という計画である。
宇都宮、古河、岩付に駐留する兵力の全てをつぎ込み、電撃作戦で武田家そのものを葬ってしまう!という作戦だ。
全ての準備が万全…とは言えないが、目の前に迫った織田家の脅威は、深志での血みどろ大決戦で全ての将兵が嫌と言うほど味わった。
我が家が生き残るには上杉吸収ぐらいではまだ手ぬるい。武田までも併呑し、駒を増やしていかねばとても織田との決戦には勝てそうにないのだ。
目標は武田家。
今や関東の大部分を我が家に明け渡し、落日の気配濃厚の相手である。
しかし我が家に楽観する将など一人もいない。
本当の敵は敵は濃尾平野、そして越中越後で鋭利な刃を研いでいるのだから。
この作戦は織田家が西へシフトしている間に神速を持って成し遂げられなければならない。
でなければ、織田につけ込まれる隙を与えてしまうのは必定だからだ。
今や武田以上に疲弊を露わにしている徳川、本願寺に何の期待も出来ない!
(まぁ、直近の徳川衰退の原因を造ったのは我が家なのは明白だが…それも徳川側から仕掛けた行為だからなぁ…)
景勝隊を先頭に箕輪を攻める。
景勝が足止めし、その隙に逆方向からの侵攻をスムーズにする…はずだったが、これが腐っても武田武者!
なんと景勝隊が騎馬アタックの連鎖で壊滅させられてしまう!なんてこったい!
予想以上の乱戦に困惑しつつも後に引けない我が軍!そう、近隣の全兵力を割いたこの戦い、敗北はつまり、無防備な関東平野を晒すことを意味する。そうなれば武田は逆侵攻し、関東はどんどん荒れていく。その果てには、おそらくかなりの確率で織田の侵入を易々と許すことになろう。
負けられない戦い。
ようやく城にたどり着くも、案の定戦法は全くもって封じられる。真田昌幸、まさに完封!
ジリジリと城の耐久力を減らすが、決定打もない。
そんな時、いったん潰れた景勝が深志から再度出撃して合流!
大苦戦の末にようやく箕輪落城!
大量12人の捕虜を得て、息つく間もなく南下、武田最後の城・小田原を急襲する!
箕輪城は修理もせず放置!
時を同じくして浜松では徳川を織田が攻めていた。
それなのに家康だけ小田原向かってるし?何考えてるんだ?西へ行け!西へ!
いったんは織田侵攻軍を撃退した本多隊や渡辺隊まで東進して来てるし!
一回ぐらいで安心すんなよ!岡崎城にまだ温存されてる兵力があるじゃねーか!
いわんこっちゃない…織田に浜松落とされてるし…。
武田ファイナル作戦の第二ステージにして最終ステージ、小田原会戦。
岩付で兵の補充は万全。この城の兵を空にしても、もう後顧に何の憂いもない。城にいるだけの兵士をどんどん出撃させる。
しかしそこへやってきたのは本多隊ら徳川三部隊!滅び行く武田なんかより自家の心配しろ!と叫びたくなるが、こうなってしまったのも戦国の世の習い、遠慮無く対峙させていただく。
徳川の援軍を駆逐するより城が先に落ちてしまったので、徳川追撃。仲間の逃走を助けるために盾となる本多隊。どこまで律儀者揃いなんだよ、三河武士は!
小田原会戦の末、伊豆に追いつめた武田へ、朝信を使者に、降伏勧告。
ついに関東の覇者、武田家滅亡。
最後はあっけなかったが、古河正面決戦での強さは忘れないぉ…。誠、天晴れ。
真田昌幸・信幸、武田勝頼・信繁、飯富、山上、ら戦闘の猛者どもが配下に!
武将数133人に達する。
しかし四国に上陸した島津があっさりと駆逐されてるし…
ちゃっかり生き残ってる長宗我部、やはりというかなんというか織田と同盟してるし(笑)
それはそれとして北陸では「助けろ!助けろ!」と矢の催促だった本願寺が加賀を駆逐され七尾に追い込まれている。
つまりそれは我が家にとって、春日山と富山で織田と接したことになるのだな。
こうなると、我が家の戦略は一つである。
徳川併合。
今や日本の中央部に強大な勢力圏を作り、その勢力は九州に届こうかという織田家。
ならば、その矛先が九州を食い尽くさないうちにこちらは西進できるだけ西進するしかない!
織田軍が西に食うべき獲物が無くなった時、その鋭すぎる牙は間違いなく東方に向けられるのだから。
織田家が浜松を攻めている今、もはや一刻の猶予もない。
早急に軍を再編成し、駿府を落とすしかないのだ。
再編成。指揮兵力-知略-武力-連携用。
義守 昌幸 義輝 18000
景勝 朝信 本庄 15500
樋口 none 真壁 保科 15500
大浦 none 小島 鬼庭 15500
義光 none 勝頼 仁科 14500
安東 none 山上 小幡 13500
最上義 none 延沢 南部(晴) 11000
信繁 none 飯富 義信 15000
武田信繁→上野守護
一刻も早く駿府を抑えるため、昌幸・景勝・大浦で急襲する。
小田原との道程に興国寺城があるのだが、あえて岩付甲斐を回って進軍する。
浜松港を織田に抑えられた以上、降伏勧告用の支城は、極力落とすべきではないのだ。
既に城兵が10000もいない駿府城を難なく落とすと…あれ?あれれ?榊原さんなんで浪人でいるの?なんかの手違い?それとも登用する暇すらなかったのか?家康は?とか戸惑ってたら、登用に行くより先に自分から仕官に来たよ。わかってるね!
北陸を見ると七尾で本願寺と織田が本格的に激突してるなぁ…
出来ることなら本願寺の人材も織田には渡したくないところだが…同盟を確認したらあと五ヶ月しかねぇ。
本願寺に加勢したいところだけど、同盟終了後居残りで、名声値を落としたり、いきなり襲われたりするも嫌だしなぁ…。
高天神を襲って廃城にして徳川勢を首尾良く興国寺に閉じこめた!とほくそ笑んでいたら…あれっ?中山道を飯田城へ進む輸送隊が…は?61000!? なんだよ!?第二次深志決戦をやる気満々ですか!?、織田家は!
1581年正月。
降伏勧告をやらせたら日本一?斎藤朝信を興国寺へ送る。
直接対決は少なかったものの、援軍と言うには頑強すぎる布陣で関東を争った徳川家もついに吸収。
しかしどうして朝信はいつも推薦されるんだろう?真面目そうだからかな?武人としてのレベルも高いしなぁ。
とりあえず、これで全地域織田と直接接触することになったわけです。
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