信長革新・s1最上家リプレイ。その10。膠着状態打破の手は?
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-688.html
さて、この段階で浮いている城が二つある。

ひとつは見ての通り飯田城。
岡崎を制圧したことで周りの勢力域は全て我が家のものとなり、補給は不可能だ。いくら62000の兵とて、補給がなければ、深志あたりから断続的な攻撃を持ちこたえることは無理だろう。
ただし一気に行かないのであれば攻略に時間がかかるのは間違いない。62000は伊達じゃない。
そしてもう一つは清洲城。
濃尾平野に威容を誇るその城には2900の兵士しかいない。
29000ではない、2900だ。
これは信長の罠と言っても差し支えないかもしれない。
清洲をわざとがら空きにし、いざ攻めようものなら、四方から逆包囲されることが目に見える。
織田は清洲の先の筒井城にも39000の兵を温存しているのだ…。
さて、どうするべきか…
罠を承知で清洲を攻めるか、
中山道の支城に入った信長へカウンターアタックを仕掛けるか、
飯田の6万の織田兵を排除することを優先させるか。うーむ。
その軍議の最中、騎馬技術開発を全てやり終えた兼続が帰ってくる。
ねぎらいの言葉を受け取るよりも先に彼はお館様に策を献上した。
三ヶ月後…
奥州探題最上義守は鳥羽の沖にいた。
いや、確かに区分上は鳥羽の海だが、実際は南紀白浜沖と言っても過言ではない。
軍師樋口兼続の献策を入れた彼は、景勝、本多の精鋭達50000の軍勢とともに船上の人だった。
草からの情報が入る。
「熊野の港に大軍の影、無し」
軍師の策通りの展開にほくそ笑む義守。
樋口の献策したこの作戦の前提として、
・筒井に大部隊がいない。
・堺・宇多津に大船団がいない。
が条件だったが、それが見事にクリアされている状況となり、進軍するにはまたとない好機が訪れた!(筒井の部隊は好都合なことに清洲に移った)
1584年夏、奥州探題熊野侵攻。
義守自ら、敵の背後へ橋頭堡を打ち込む戦いが始まったのでした。
熊野の警戒ラインギリギリから奇襲する義守・景勝・本多!
その報を織田が知り得たのは攻撃開始の約20日前と思われる。筒井他、畿内のどの城からも間に合わない距離。
浜松から鳥羽を通り越しての本軍遊撃に、熊野の港のみならず織田軍全体がパニックになったであろうことは想像に難くない。
織田と膠着状態になった時に具申された幸村の案に「浜松の先に鳥羽がある」という件があったが、今やそれすら飛び越えて紀州にいる現実に、身震いを感じる。
我々は織田の喉笛に噛みついたのだ!と軍勢を前に鬨の声を上げる!高まる士気!
圧倒的な戦力差で熊野を占拠。
そしてネクストステップとして大規模な輸送作戦を敢行する。
これはこの作戦の正否を分けると言っても過言ではない重要な作戦だ。
現在春日山にいる50000の兵士を深志に、
深志にいる50000を浜松に、
浜松の50000を熊野に輸送するミッションである。
これを織田と睨み合っている深志浜松鳥羽を目の前にして完遂せねばならないのだ。
出来なければせっかく打ち込んだ橋頭堡が干上がってしまう。今回の侵攻作戦が無意味になるのだ。
特に重要な海上輸送は、譜代家臣氏家守棟がその任を負うことに。
知略の高い氏家を選んだつもりだったが、これが鳥羽あたりに信長とかがいたら大変だ。
計略撤退地獄で船が目的地に着かない、なんてこともあり得るからだ。
固唾を飲みながら輸送隊の行方を見守る。
しかしその時、ちょうどラッキーなことが起こる。
なんと島津が中国で反抗に出た!
吉田郡山城を島津本隊がかなりの本気モードで攻めているではないか!
織田は西へと意識がシフトする。
その隙を狙い、上陸隊は徒歩で雑賀を攻める!
足は遅いわ、士気の下がり方は早いわで難儀する久々の足軽戦。
しかし、島津に気を取られた織田は十分な対処も出来ないまま落とされる。
お?今川氏真。織田に仕えてたのか…主家の仇は忘れたのか?
そして氏家の輸送隊が熊野到着!
よくやった!褒美をとらすぞ!
島津は結局吉田郡山を占拠。
さすがだ…攻めると強い島津は今回もその片鱗を見せている。
ようやく傷兵が全回復したので富山に輸送して蓮沼城を廃城。
激戦をともに戦った戦友との別れ、のような感情を抱きつつも…御山から七尾へのルートを開ける(織田-本願寺の間を開ける)ために、
さて、次の一手。
熊野に50000の兵を輸送できたということは城攻めの出来る戦力が二つになったということ。
こうなると熊野起点出陣と考えるとまたいくつか選択肢が出現する。
関西の戦略拠点堺攻め。
四国の織田勢力駆逐のため宇多津攻め。
島津の拡大を抑えるために能島or下津井攻め。
弱さ炸裂の長宗我部をさっくり飲み込む室戸攻め。
は…論外だな。攻勢に回った島津の勢いに長宗我部が対抗できるとは思えない。
調子に乗り始めた島津と当たるのも嫌だ。そんなのは織田に任せればいい。
実のところ、港というのは攻めるに易く守るに難い場所なんだよねぇ…。
港を攻めるならその先の城を獲れる見込みがないと行ってもあまり意味がなぁ…。
港の維持を目論むには港に大兵力を駐留させるしかないわけで。
戦略的価値はあっても、経済的な価値はない、それが港。
どうしたもんかなぁ…。
と、すると樋口から「天下に覇を唱え、奸臣信長を討つ勅を頂くため、京に参りましょう」という恐ろしい提案が…
い、いや!確かに織田家と我が家の立場を逆転する秘策としてはいいが、そもそも畿内のど真ん中に兵を進めたら、周りは全て織田領、それこそ逆にフルボッコじゃねーの?ねぇねぇ?
電撃作戦で京へ侵入して京都自体を要塞化?う、ううむ…そんな速度で要塞化とか出来るのか?jk?
儂はのんびり四国攻めとかいいんじゃないかと思うんだな。敵も抵抗も少なそうだし…。
秋。
織田軍は鳥羽と敦賀に兵を大増強しようとしている。
こちらがやった遠隔地港への電撃作戦をやり返そうというのか?
織田の意図はどうであれ、対策をとっておく→輪島増強。
ま、まぁな、とりあえず堺は攻めてみようじゃないか…と弱気なお館様は進軍の許可を出す。
(ダメならダメで戻ってくればいいし…)
と、内心思っていたのだった。
熊野上陸を果たした補給部隊を編成して堺攻撃に向かう。
と、やはりそこは織田もバカじゃない。
石山から兵を10000輸送して、対策を取る。そりゃそうだよね。
「じゃあ!帰ろうか!かえって今夜は白浜の温泉で宴会を…」
日和る当主を尻目に堺への進路を変えない昌幸。
おおい!大丈夫か?我が軍小舟だぞ!防御力紙だぞ!全然水軍開発なんかしてないぞ!
当主の心配などどこ吹く風、船は堺へと進んでいく。
ぎゃー!織田の鉄砲隊に「狙い撃つぜ!」的なことをされるぅぅぅぅぅ!!
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さて、この段階で浮いている城が二つある。

ひとつは見ての通り飯田城。
岡崎を制圧したことで周りの勢力域は全て我が家のものとなり、補給は不可能だ。いくら62000の兵とて、補給がなければ、深志あたりから断続的な攻撃を持ちこたえることは無理だろう。
ただし一気に行かないのであれば攻略に時間がかかるのは間違いない。62000は伊達じゃない。
そしてもう一つは清洲城。
濃尾平野に威容を誇るその城には2900の兵士しかいない。
29000ではない、2900だ。
これは信長の罠と言っても差し支えないかもしれない。
清洲をわざとがら空きにし、いざ攻めようものなら、四方から逆包囲されることが目に見える。
織田は清洲の先の筒井城にも39000の兵を温存しているのだ…。
さて、どうするべきか…
罠を承知で清洲を攻めるか、
中山道の支城に入った信長へカウンターアタックを仕掛けるか、
飯田の6万の織田兵を排除することを優先させるか。うーむ。
その軍議の最中、騎馬技術開発を全てやり終えた兼続が帰ってくる。
ねぎらいの言葉を受け取るよりも先に彼はお館様に策を献上した。
三ヶ月後…
奥州探題最上義守は鳥羽の沖にいた。
いや、確かに区分上は鳥羽の海だが、実際は南紀白浜沖と言っても過言ではない。
軍師樋口兼続の献策を入れた彼は、景勝、本多の精鋭達50000の軍勢とともに船上の人だった。
草からの情報が入る。
「熊野の港に大軍の影、無し」
軍師の策通りの展開にほくそ笑む義守。
樋口の献策したこの作戦の前提として、
・筒井に大部隊がいない。
・堺・宇多津に大船団がいない。
が条件だったが、それが見事にクリアされている状況となり、進軍するにはまたとない好機が訪れた!(筒井の部隊は好都合なことに清洲に移った)
1584年夏、奥州探題熊野侵攻。
義守自ら、敵の背後へ橋頭堡を打ち込む戦いが始まったのでした。
熊野の警戒ラインギリギリから奇襲する義守・景勝・本多!
その報を織田が知り得たのは攻撃開始の約20日前と思われる。筒井他、畿内のどの城からも間に合わない距離。
浜松から鳥羽を通り越しての本軍遊撃に、熊野の港のみならず織田軍全体がパニックになったであろうことは想像に難くない。
織田と膠着状態になった時に具申された幸村の案に「浜松の先に鳥羽がある」という件があったが、今やそれすら飛び越えて紀州にいる現実に、身震いを感じる。
我々は織田の喉笛に噛みついたのだ!と軍勢を前に鬨の声を上げる!高まる士気!
圧倒的な戦力差で熊野を占拠。
そしてネクストステップとして大規模な輸送作戦を敢行する。
これはこの作戦の正否を分けると言っても過言ではない重要な作戦だ。
現在春日山にいる50000の兵士を深志に、
深志にいる50000を浜松に、
浜松の50000を熊野に輸送するミッションである。
これを織田と睨み合っている深志浜松鳥羽を目の前にして完遂せねばならないのだ。
出来なければせっかく打ち込んだ橋頭堡が干上がってしまう。今回の侵攻作戦が無意味になるのだ。
特に重要な海上輸送は、譜代家臣氏家守棟がその任を負うことに。
知略の高い氏家を選んだつもりだったが、これが鳥羽あたりに信長とかがいたら大変だ。
計略撤退地獄で船が目的地に着かない、なんてこともあり得るからだ。
固唾を飲みながら輸送隊の行方を見守る。
しかしその時、ちょうどラッキーなことが起こる。
なんと島津が中国で反抗に出た!
吉田郡山城を島津本隊がかなりの本気モードで攻めているではないか!
織田は西へと意識がシフトする。
その隙を狙い、上陸隊は徒歩で雑賀を攻める!
足は遅いわ、士気の下がり方は早いわで難儀する久々の足軽戦。
しかし、島津に気を取られた織田は十分な対処も出来ないまま落とされる。
お?今川氏真。織田に仕えてたのか…主家の仇は忘れたのか?
そして氏家の輸送隊が熊野到着!
よくやった!褒美をとらすぞ!
島津は結局吉田郡山を占拠。
さすがだ…攻めると強い島津は今回もその片鱗を見せている。
ようやく傷兵が全回復したので富山に輸送して蓮沼城を廃城。
激戦をともに戦った戦友との別れ、のような感情を抱きつつも…御山から七尾へのルートを開ける(織田-本願寺の間を開ける)ために、
さて、次の一手。
熊野に50000の兵を輸送できたということは城攻めの出来る戦力が二つになったということ。
こうなると熊野起点出陣と考えるとまたいくつか選択肢が出現する。
関西の戦略拠点堺攻め。
四国の織田勢力駆逐のため宇多津攻め。
島津の拡大を抑えるために能島or下津井攻め。
弱さ炸裂の長宗我部をさっくり飲み込む室戸攻め。
は…論外だな。攻勢に回った島津の勢いに長宗我部が対抗できるとは思えない。
調子に乗り始めた島津と当たるのも嫌だ。そんなのは織田に任せればいい。
実のところ、港というのは攻めるに易く守るに難い場所なんだよねぇ…。
港を攻めるならその先の城を獲れる見込みがないと行ってもあまり意味がなぁ…。
港の維持を目論むには港に大兵力を駐留させるしかないわけで。
戦略的価値はあっても、経済的な価値はない、それが港。
どうしたもんかなぁ…。
と、すると樋口から「天下に覇を唱え、奸臣信長を討つ勅を頂くため、京に参りましょう」という恐ろしい提案が…
い、いや!確かに織田家と我が家の立場を逆転する秘策としてはいいが、そもそも畿内のど真ん中に兵を進めたら、周りは全て織田領、それこそ逆にフルボッコじゃねーの?ねぇねぇ?
電撃作戦で京へ侵入して京都自体を要塞化?う、ううむ…そんな速度で要塞化とか出来るのか?jk?
儂はのんびり四国攻めとかいいんじゃないかと思うんだな。敵も抵抗も少なそうだし…。
秋。
織田軍は鳥羽と敦賀に兵を大増強しようとしている。
こちらがやった遠隔地港への電撃作戦をやり返そうというのか?
織田の意図はどうであれ、対策をとっておく→輪島増強。
ま、まぁな、とりあえず堺は攻めてみようじゃないか…と弱気なお館様は進軍の許可を出す。
(ダメならダメで戻ってくればいいし…)
と、内心思っていたのだった。
熊野上陸を果たした補給部隊を編成して堺攻撃に向かう。
と、やはりそこは織田もバカじゃない。
石山から兵を10000輸送して、対策を取る。そりゃそうだよね。
「じゃあ!帰ろうか!かえって今夜は白浜の温泉で宴会を…」
日和る当主を尻目に堺への進路を変えない昌幸。
おおい!大丈夫か?我が軍小舟だぞ!防御力紙だぞ!全然水軍開発なんかしてないぞ!
当主の心配などどこ吹く風、船は堺へと進んでいく。
ぎゃー!織田の鉄砲隊に「狙い撃つぜ!」的なことをされるぅぅぅぅぅ!!
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