信長革新・s1最上家リプレイ。その13。織田殲滅戦!
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-695.html
と言ってるウチに岸和田が落ちる。
京と目と鼻の先、矢上への輸送隊が見える。
襲うことに決定w
矢上からの迎撃部隊が出てきたのでなしくずし的に城攻めに。
矢上を落とす。
次は石山攻め。
どうやら鉄砲櫓武装をしようとしている。早々にその芽をつみ取っておくしかない。
防御20000の大城を奪って対織田西方の守りとする。
兵が13000も残ってるのに籠城戦に入ったので、ここも包囲で落とす。
このあたりから関西の織田軍はgdgdになる。
もう畿内周辺は諦めた?
ルーツたる清洲を獲られて野望も萎んだか?
本願寺との同盟期限切れ。
しかし四方敵だらけでどうにもならない罠w。坊主プギャーwwww
と、同時に富田隆実・蠣崎季を引き抜く抜け目なさ…。
北条綱成死亡…うううううう…よく働いてくれた。ゆっくり休めよ…。
大友との同盟切れる。
織田が横槍開発。なんだ、静かだと思ったら技術開発してたのか。
ついでに?九戸政・九戸実・築田・多賀谷・新発田重・平林を引き抜きされる。
細かいことは気にせずに観音寺を包囲戦。ここ後ろが琵琶湖だから城門3かと思ったら4なんだね。
今度は家康の土竜攻め発動。水攻めじゃないのか?ここ…。って山城か。
大砲をボンボン撃ってくるがそれも気にせず包囲。
次の狙い、弓木を包囲している時に、観音寺攻めを仕掛けてくる岐阜木曽の織田軍。
山中鹿之助・小西行長ら40000。
久しぶりに大型の会戦になる!?
…とか思ったら津田隊が潰れただけで潰走ですか…最強織田が懐かしくなる…。
弓木を攻めていた部隊を鳥取へ向かわす。
ここも徳川の土竜攻め。防御6000の城だと、土竜相手には紙のようだw
そんなまったりとした伯耆とは裏腹に、四国は風雲急を告げる。
なんと勝瑞で長宗我部が織田に勝ちそう!これも我が家が伝授した技術の成果か?
一方土佐では島津の侵攻を受ける長宗我部。ぴんぴんち!
鉄砲騎馬の威力であっという間に兵が減っていく岡豊城!
城の防御が瓦解するのとほぼ同時にまともに戦える城兵も0になってしまう!
援軍に向かったはずが、這々の体で逃げ帰る長宗我部…哀れ…。
あ、また勝瑞攻められたけど、また守った!頑張れ長宗我部。
門司では関門海峡の制海権を巡って大友と島津が正面衝突してる。
うお、今度は織田の今治を狙って島津と大友が決戦かよ!
うおー!安宅船の大筒つえー!
今治港があっという間に落ちた!
っていうか島津、織田の港スルーしてるし!やっぱり悪の同盟を結んでしまったか…。
安東愛季、死去。
思えば最初に仕えてくれた他家の猛将だった…ありがとうよ…安らかに眠れ。
さて、これからどうするか?を考えると、
御所を奪われないようにする、という意味では畿内近辺にまだ存在する織田勢力の駆逐だな、と考え、そうすると目標は敦賀、小谷あたりに絞られる。
特に敦賀は北方廻船での補給を断つという意味で、なかなかの重要拠点だ。ここを攻めることにしよう。
敦賀攻め。
加藤清正と鳥居元忠が立ちふさがってくる!なかなかに高い壁!
家康隊が半減させられ、弓木へ撤退を余儀なくされるが、観音寺から到着した景勝隊加勢!
久しぶりの傷兵20000に乗せた北の港での戦いは我が軍勝利で終結。
いやぁ、やっぱり清正・正則あたりが出てくると燃えるな!
…と、言えるぐらいになったんだなぁ、我が家も。
実際、この頃からもう織田とは明らかな差がついてきており、勢力図から見ても織田は北陸の一地方勢力、と言い切ってもいいような衰退を見せていたのですね。
(四国中国伊勢信濃に飛び地領が残っていますが)
こうなれば全力で叩き潰すのもまた礼儀。
畿内から織田の影を消すために小谷攻め。
大谷吉継の奇襲で徳川軍がガックリ減らされたり、井伊が狙撃されたりと徳川勢には踏んだり蹴ったりだが、そこは得意の土竜攻め。
1590年夏。
畿内から織田を排除したのを見届けるように、最上義守永眠。
北陸を除く東日本を全て勢力下に納め、義光に当主の座を譲る。
我が家が喪に服していた期間。
西方では我が家を裏切り織田家へ走った九戸実が島津家に襲われ能島港を奪われていた。無情。
秋。
喪が明けた我が軍は木曽の織田軍を攻める。
気分は既に残党狩りである。
北斗の拳で言うところの「汚物は消毒だぁー!!」である。どっちが悪党だw
その頃関門海峡では島津と大友が激しい海戦で潰し合い。
佐竹義宣発見。
あら?飯田城包囲戦をのんびりやってたら、今頃になって我が家の包囲網が。
いったい誰が仕掛けたの?
いきなりだろwww
義昭将軍は我が手中にあるんだが…
月山富田・姫路から鳥取へ
岐阜から観音寺へ
霧山から筒井へ
鳥羽から浜松へ海戦。
織田最後の輝きか?
鳥取は現地の数正、伊達輝、本多政、和田、御子神に任せ家康隊を派遣する。
筒井攻めの部隊は、丁度終わった飯田攻めの部隊を清洲に移し、そこから進発させる。筒井城主滝川重、山内。
観音寺は自主防御。城主は北条氏政、南部利・信、沼田。沼田は筒井へ。
鳥羽はどうだろうなぁ…一応幸村がいるんだが、相手鉄砲隊のようだ…。
筒井は撃退できそうなので清洲の将達を小谷へ移す。
浜松も撃退。
本願寺も輪島を攻めてくる。ウザす!
蓮沼に支城をまた造られる。
観音寺で会戦発生。
清正、山中隊と景勝、本多隊激突。
山中の槍連鎖で本多隊がかなり減らされるが、結局はこちらが一部隊潰して織田敗走。
あれ?また蓮沼に支城建設…だって、さっき造ってなかった?
あっ!設置しておいた鉄砲櫓が建設隊を自動攻撃してる!バロスwww これのせいか!
これはひどいww
包囲網が続く中、木曽山麓討伐を続行。
岩村城を攻撃中に背後の岐阜から織田が出る。これが本当に最後の輝きかもしれない。
岩村城を包囲攻撃するのは諏訪側から、樋口・伊達隊、岐阜側から幸村隊である。
既に城の防御は丸裸だが、敢えてここで攻撃を中止する。
それは岐阜から出てきた織田本体を野戦に引きずり込むためだ。
岐阜城攻略を円滑にするため、この野戦で織田を撃滅するしかない!
義光、全軍に出撃命令。
深志から家康、清洲から景勝、観音寺から義光本体が出撃る!
問題は、(織田の岐阜からの援軍を城へ退却させないために)岩村を敢えて落とさない=幸村隊が敵中で孤立する、ということである。
織田本体の攻撃を一斉に受けながら、味方の援軍が戦場に到着するまで、ひたすら耐える幸村隊。
既に城の防御は崩壊、いつでも攻め落とせるのを指を咥えてみていなければならない樋口・伊達の両将。
忍える時間は過ぎる…何度も戦法防御する幸村だが、次第にその数を減らされ、部隊は半減。さすが腐っても織田、腐っても清正。
伊達隊は突出を試みるが、樋口に制される。
ジリジリと数を減らしていく幸村隊。
ようやくそこへ本多、義光、景勝到着。
織田の背後へ着く。
清正の部隊をようやく潰したと思ったら、岐阜に戻って再度出撃してくる!しぶといよ!
御子神吉明、寝返り。
水谷胤重、寝返り。
岩村会戦は真田幸村の足止め策が成功し、見事野戦で岐阜城の部隊を壊滅させることに成功!
ついで岐阜への追撃戦に入る。
冬、岐阜城包囲完成。家康の土竜で更に圧迫。
1692年冬。ついに信長の本城、岐阜墜ちる。
ここでかねてからの念願だった桜洞を攻める。
富山からの援軍の含めての全軍総攻撃である。
そのころ浜松ではかなり本気の会戦が。
織田軍は小西行長を始めとする五部隊40000で25000の浜松港を攻めている!
浜松を守るは相馬盛胤、奥平信昌、前野長康。
激戦である。港の防壁は突破され、裸での撃ち合いとなってしまう!
兵が18000を切る。
裏切り者・九戸政隊撤退。
兵が11000を切ったところで、織田水軍撤退。
危なかった…
危うく軍馬87000、鉄砲98000を奪われる大失態を犯すところだった。
逆言えばそのため込んだ鉄砲が活きた、とも言えるが。
浜松の危機が去ったので、本体は、清洲→岐阜→飛騨と山へ逃げていく織田本体を追い、今度は富山からの挟撃で完全に行き場を失わせる策に出る。
桜洞に立てこもる織田90000、対して攻める最上軍精鋭85000。飛騨の山中での関ヶ原である。
先陣を切ってきたのは小幡信貞、我が軍を裏切った男である。
何の義を持って織田に味方するかわからぬが、邪魔する者は全員斬る。
ついで加藤清正隊が家康の後方に迫る!景勝の背後に回ろうとしてくる山中・吉川隊!
更にそれに加わろうとする池田隊を幸村の騎馬アタックで阻止!
景勝隊半減の痛手を負いながら、ようやく敵の兵数も減らし、ついに城を包囲、家康の土竜発動。
秋。
そろそろ包囲戦も最終盤…という時に、長宗我部が我が家に宣戦布告!というアナウンスが。
は?今頃??
さてまぁ長宗我部のお手並み拝見、とニヨニヨして眺めることに。
頑張ったようで、結局は逃げ去る長宗我部。
まぁ、堺の防御を1600減らしたのは褒めてやるか…。
しかしこれで長宗我部は兵18000に減る。もうマジで風前の灯火。
しかも我が家への包囲網あと四ヶ月しかないし…。
桜洞落ちる。
裏切り者、築田・小幡・多賀谷・梶原を処断。
50000超の傷兵が激戦を物語る。
仁科盛信、離反。
保科正俊、本願寺へ離反。
さて、これで名実ともに織田を北陸の一地方大名に追い落とした我が家。
桜洞では織田がためこんだ軍馬22万頭、鉄砲20万丁を入手。フフフ…。こんなに隠し持っていやがったのか。
信長は包囲された桜洞を抜け出し伊勢にいる、と草からの情報が。
浜松をかなり危ない目に遭わせた志摩を無力化させるためにも、伊勢侵攻が決定される。
飛騨を駆け下りる最上軍騎馬隊65000。
途中で樋口、伊達隊と合流する。
回復した傷兵を輸送させ、飯田城を廃城。
霧山御所を包囲。
その最中に延沢死亡…おぉ…数少ない山形時代からの忠臣が…。
子孫も決して粗略には扱わぬぉ!朝廷に言ってなんか偉い官職も追贈するぉ!
そして鳥羽港制圧。
裏切り者、九戸政、処断。
カウンターアタックの脅威だった鳥羽の兵力も全て削ぎ落とす。
一方その頃、山口。
西国から再起せんと思ったか、加藤・福島両隊は山口で島津本体とガチンコ勝負をしていた。
しかし島津山口城の鉄砲櫓地帯にうまく引きずり込まれたあげく、退路を島津義弘に封じられ、壊滅危機!
よく耐えたものの、両隊相次いで壊滅…
最強を誇った織田軍の影も無し…。
岩村城廃城。
これで深志・春日山へと通じる補給路が全面的に開放される。
今思えば、なんで敵に明け渡すのがわかってるのに、支城なんか造ったんだ?という織田の意図がわかる。
深志方面からの電撃戦を封じられることで、戦略的選択肢をいくつももがれるというのは、返す返すも大きな痛手だった。
その点は織田にまんまとしてやられたなぁ。
西方。
岡山城には島津の大砲攻撃が!
織田軍、島津に岡山にまで攻め込まれてしまう。
こうなると残る織田の拠点は、一乗谷と姫路あたりが最大。
我が家はどちらに攻めの将軍を合わせたか、というと…
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-695.html
と言ってるウチに岸和田が落ちる。
京と目と鼻の先、矢上への輸送隊が見える。
襲うことに決定w
矢上からの迎撃部隊が出てきたのでなしくずし的に城攻めに。
矢上を落とす。
次は石山攻め。
どうやら鉄砲櫓武装をしようとしている。早々にその芽をつみ取っておくしかない。
防御20000の大城を奪って対織田西方の守りとする。
兵が13000も残ってるのに籠城戦に入ったので、ここも包囲で落とす。
このあたりから関西の織田軍はgdgdになる。
もう畿内周辺は諦めた?
ルーツたる清洲を獲られて野望も萎んだか?
本願寺との同盟期限切れ。
しかし四方敵だらけでどうにもならない罠w。坊主プギャーwwww
と、同時に富田隆実・蠣崎季を引き抜く抜け目なさ…。
北条綱成死亡…うううううう…よく働いてくれた。ゆっくり休めよ…。
大友との同盟切れる。
織田が横槍開発。なんだ、静かだと思ったら技術開発してたのか。
ついでに?九戸政・九戸実・築田・多賀谷・新発田重・平林を引き抜きされる。
細かいことは気にせずに観音寺を包囲戦。ここ後ろが琵琶湖だから城門3かと思ったら4なんだね。
今度は家康の土竜攻め発動。水攻めじゃないのか?ここ…。って山城か。
大砲をボンボン撃ってくるがそれも気にせず包囲。
次の狙い、弓木を包囲している時に、観音寺攻めを仕掛けてくる岐阜木曽の織田軍。
山中鹿之助・小西行長ら40000。
久しぶりに大型の会戦になる!?
…とか思ったら津田隊が潰れただけで潰走ですか…最強織田が懐かしくなる…。
弓木を攻めていた部隊を鳥取へ向かわす。
ここも徳川の土竜攻め。防御6000の城だと、土竜相手には紙のようだw
そんなまったりとした伯耆とは裏腹に、四国は風雲急を告げる。
なんと勝瑞で長宗我部が織田に勝ちそう!これも我が家が伝授した技術の成果か?
一方土佐では島津の侵攻を受ける長宗我部。ぴんぴんち!
鉄砲騎馬の威力であっという間に兵が減っていく岡豊城!
城の防御が瓦解するのとほぼ同時にまともに戦える城兵も0になってしまう!
援軍に向かったはずが、這々の体で逃げ帰る長宗我部…哀れ…。
あ、また勝瑞攻められたけど、また守った!頑張れ長宗我部。
門司では関門海峡の制海権を巡って大友と島津が正面衝突してる。
うお、今度は織田の今治を狙って島津と大友が決戦かよ!
うおー!安宅船の大筒つえー!
今治港があっという間に落ちた!
っていうか島津、織田の港スルーしてるし!やっぱり悪の同盟を結んでしまったか…。
安東愛季、死去。
思えば最初に仕えてくれた他家の猛将だった…ありがとうよ…安らかに眠れ。
さて、これからどうするか?を考えると、
御所を奪われないようにする、という意味では畿内近辺にまだ存在する織田勢力の駆逐だな、と考え、そうすると目標は敦賀、小谷あたりに絞られる。
特に敦賀は北方廻船での補給を断つという意味で、なかなかの重要拠点だ。ここを攻めることにしよう。
敦賀攻め。
加藤清正と鳥居元忠が立ちふさがってくる!なかなかに高い壁!
家康隊が半減させられ、弓木へ撤退を余儀なくされるが、観音寺から到着した景勝隊加勢!
久しぶりの傷兵20000に乗せた北の港での戦いは我が軍勝利で終結。
いやぁ、やっぱり清正・正則あたりが出てくると燃えるな!
…と、言えるぐらいになったんだなぁ、我が家も。
実際、この頃からもう織田とは明らかな差がついてきており、勢力図から見ても織田は北陸の一地方勢力、と言い切ってもいいような衰退を見せていたのですね。
(四国中国伊勢信濃に飛び地領が残っていますが)
こうなれば全力で叩き潰すのもまた礼儀。
畿内から織田の影を消すために小谷攻め。
大谷吉継の奇襲で徳川軍がガックリ減らされたり、井伊が狙撃されたりと徳川勢には踏んだり蹴ったりだが、そこは得意の土竜攻め。
1590年夏。
畿内から織田を排除したのを見届けるように、最上義守永眠。
北陸を除く東日本を全て勢力下に納め、義光に当主の座を譲る。
我が家が喪に服していた期間。
西方では我が家を裏切り織田家へ走った九戸実が島津家に襲われ能島港を奪われていた。無情。
秋。
喪が明けた我が軍は木曽の織田軍を攻める。
気分は既に残党狩りである。
北斗の拳で言うところの「汚物は消毒だぁー!!」である。どっちが悪党だw
その頃関門海峡では島津と大友が激しい海戦で潰し合い。
佐竹義宣発見。
あら?飯田城包囲戦をのんびりやってたら、今頃になって我が家の包囲網が。
いったい誰が仕掛けたの?
いきなりだろwww
義昭将軍は我が手中にあるんだが…
月山富田・姫路から鳥取へ
岐阜から観音寺へ
霧山から筒井へ
鳥羽から浜松へ海戦。
織田最後の輝きか?
鳥取は現地の数正、伊達輝、本多政、和田、御子神に任せ家康隊を派遣する。
筒井攻めの部隊は、丁度終わった飯田攻めの部隊を清洲に移し、そこから進発させる。筒井城主滝川重、山内。
観音寺は自主防御。城主は北条氏政、南部利・信、沼田。沼田は筒井へ。
鳥羽はどうだろうなぁ…一応幸村がいるんだが、相手鉄砲隊のようだ…。
筒井は撃退できそうなので清洲の将達を小谷へ移す。
浜松も撃退。
本願寺も輪島を攻めてくる。ウザす!
蓮沼に支城をまた造られる。
観音寺で会戦発生。
清正、山中隊と景勝、本多隊激突。
山中の槍連鎖で本多隊がかなり減らされるが、結局はこちらが一部隊潰して織田敗走。
あれ?また蓮沼に支城建設…だって、さっき造ってなかった?
あっ!設置しておいた鉄砲櫓が建設隊を自動攻撃してる!バロスwww これのせいか!
これはひどいww
包囲網が続く中、木曽山麓討伐を続行。
岩村城を攻撃中に背後の岐阜から織田が出る。これが本当に最後の輝きかもしれない。
岩村城を包囲攻撃するのは諏訪側から、樋口・伊達隊、岐阜側から幸村隊である。
既に城の防御は丸裸だが、敢えてここで攻撃を中止する。
それは岐阜から出てきた織田本体を野戦に引きずり込むためだ。
岐阜城攻略を円滑にするため、この野戦で織田を撃滅するしかない!
義光、全軍に出撃命令。
深志から家康、清洲から景勝、観音寺から義光本体が出撃る!
問題は、(織田の岐阜からの援軍を城へ退却させないために)岩村を敢えて落とさない=幸村隊が敵中で孤立する、ということである。
織田本体の攻撃を一斉に受けながら、味方の援軍が戦場に到着するまで、ひたすら耐える幸村隊。
既に城の防御は崩壊、いつでも攻め落とせるのを指を咥えてみていなければならない樋口・伊達の両将。
忍える時間は過ぎる…何度も戦法防御する幸村だが、次第にその数を減らされ、部隊は半減。さすが腐っても織田、腐っても清正。
伊達隊は突出を試みるが、樋口に制される。
ジリジリと数を減らしていく幸村隊。
ようやくそこへ本多、義光、景勝到着。
織田の背後へ着く。
清正の部隊をようやく潰したと思ったら、岐阜に戻って再度出撃してくる!しぶといよ!
御子神吉明、寝返り。
水谷胤重、寝返り。
岩村会戦は真田幸村の足止め策が成功し、見事野戦で岐阜城の部隊を壊滅させることに成功!
ついで岐阜への追撃戦に入る。
冬、岐阜城包囲完成。家康の土竜で更に圧迫。
1692年冬。ついに信長の本城、岐阜墜ちる。
ここでかねてからの念願だった桜洞を攻める。
富山からの援軍の含めての全軍総攻撃である。
そのころ浜松ではかなり本気の会戦が。
織田軍は小西行長を始めとする五部隊40000で25000の浜松港を攻めている!
浜松を守るは相馬盛胤、奥平信昌、前野長康。
激戦である。港の防壁は突破され、裸での撃ち合いとなってしまう!
兵が18000を切る。
裏切り者・九戸政隊撤退。
兵が11000を切ったところで、織田水軍撤退。
危なかった…
危うく軍馬87000、鉄砲98000を奪われる大失態を犯すところだった。
逆言えばそのため込んだ鉄砲が活きた、とも言えるが。
浜松の危機が去ったので、本体は、清洲→岐阜→飛騨と山へ逃げていく織田本体を追い、今度は富山からの挟撃で完全に行き場を失わせる策に出る。
桜洞に立てこもる織田90000、対して攻める最上軍精鋭85000。飛騨の山中での関ヶ原である。
先陣を切ってきたのは小幡信貞、我が軍を裏切った男である。
何の義を持って織田に味方するかわからぬが、邪魔する者は全員斬る。
ついで加藤清正隊が家康の後方に迫る!景勝の背後に回ろうとしてくる山中・吉川隊!
更にそれに加わろうとする池田隊を幸村の騎馬アタックで阻止!
景勝隊半減の痛手を負いながら、ようやく敵の兵数も減らし、ついに城を包囲、家康の土竜発動。
秋。
そろそろ包囲戦も最終盤…という時に、長宗我部が我が家に宣戦布告!というアナウンスが。
は?今頃??
さてまぁ長宗我部のお手並み拝見、とニヨニヨして眺めることに。
頑張ったようで、結局は逃げ去る長宗我部。
まぁ、堺の防御を1600減らしたのは褒めてやるか…。
しかしこれで長宗我部は兵18000に減る。もうマジで風前の灯火。
しかも我が家への包囲網あと四ヶ月しかないし…。
桜洞落ちる。
裏切り者、築田・小幡・多賀谷・梶原を処断。
50000超の傷兵が激戦を物語る。
仁科盛信、離反。
保科正俊、本願寺へ離反。
さて、これで名実ともに織田を北陸の一地方大名に追い落とした我が家。
桜洞では織田がためこんだ軍馬22万頭、鉄砲20万丁を入手。フフフ…。こんなに隠し持っていやがったのか。
信長は包囲された桜洞を抜け出し伊勢にいる、と草からの情報が。
浜松をかなり危ない目に遭わせた志摩を無力化させるためにも、伊勢侵攻が決定される。
飛騨を駆け下りる最上軍騎馬隊65000。
途中で樋口、伊達隊と合流する。
回復した傷兵を輸送させ、飯田城を廃城。
霧山御所を包囲。
その最中に延沢死亡…おぉ…数少ない山形時代からの忠臣が…。
子孫も決して粗略には扱わぬぉ!朝廷に言ってなんか偉い官職も追贈するぉ!
そして鳥羽港制圧。
裏切り者、九戸政、処断。
カウンターアタックの脅威だった鳥羽の兵力も全て削ぎ落とす。
一方その頃、山口。
西国から再起せんと思ったか、加藤・福島両隊は山口で島津本体とガチンコ勝負をしていた。
しかし島津山口城の鉄砲櫓地帯にうまく引きずり込まれたあげく、退路を島津義弘に封じられ、壊滅危機!
よく耐えたものの、両隊相次いで壊滅…
最強を誇った織田軍の影も無し…。
岩村城廃城。
これで深志・春日山へと通じる補給路が全面的に開放される。
今思えば、なんで敵に明け渡すのがわかってるのに、支城なんか造ったんだ?という織田の意図がわかる。
深志方面からの電撃戦を封じられることで、戦略的選択肢をいくつももがれるというのは、返す返すも大きな痛手だった。
その点は織田にまんまとしてやられたなぁ。
西方。
岡山城には島津の大砲攻撃が!
織田軍、島津に岡山にまで攻め込まれてしまう。
こうなると残る織田の拠点は、一乗谷と姫路あたりが最大。
我が家はどちらに攻めの将軍を合わせたか、というと…
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