朝青龍が嫌われるワケ。
ウチの家族は朝青龍が嫌いだ。
それは何も、今話題の八百長騒ぎのせいではない。
八百長騒ぎが大事になるずっと前から、純粋に(?)朝青龍が嫌いだ。
朝青龍が負けると喜ぶ。拍手喝采だ。
公の場である国技館でも、朝青龍が負けると非常に喜ぶ枡席が見えたりする。それは前時代の横綱達とはやはり違う空気感が感じられる。
何故だろう?
私から見ると、何故そこまで憎悪されるのかが、ピンと来ない。
国技でも伝統の象徴でもなく、単なる格闘技としての視点で見てしまう私には、とても強くて巧い相撲取りに見えるし、横綱が強いということは、むしろ良いことなのではないか?と思ったりするのだが。
そこで私なりに類推するに…
ウチの家族、特に高年齢であればあるほど、格闘技はプロレスと区別がつきにくく、総合格闘技とプロレス、K-1、ボクシングなどに至っては、全て同じジャンルとして脳内で認識される。
そして、日本人vs日本人の試合に何の意義も見いだせていないのだ。
これは本当に驚くほど、日本人と日本人が戦うことに対し、何の感情も、興奮も無い。
翻って、日本人vs外国人になると、明らかに感情が動いている。
そして日本人が負けると素直に悔しがるのだ。
つまり格闘技におけるドラマの方程式、というのが認識の中で確固たる位置を占め、そして全くブレないほど固定化されている。
それはいつ固定化されたのか?戦争中か、あるいは戦後の力道山かは私にはわからないが、明確にそれはあるのである。
果たしてその源流は、戦前~戦中の村社会意識の中で刷り込まれたのか、あるいは違う要因なのか…
とにかく外人に対する日本人の、あまりにも見事な差別意識が影響しているのか、面白いサンプルケースだとは思う>相撲。
逆の意味では…
かつてあった若貴ブーム。
あれも古き日本文化の象徴といえるかも?
いわゆる、先代若乃花・貴乃花の血筋であればこそ、あそこまでブームになったのか、と。
ブームを押し上げる要因として、日本的な、高い血統カリスマへの信仰心が一助になったのでは?とも思えてくる。
それは何も、今話題の八百長騒ぎのせいではない。
八百長騒ぎが大事になるずっと前から、純粋に(?)朝青龍が嫌いだ。
朝青龍が負けると喜ぶ。拍手喝采だ。
公の場である国技館でも、朝青龍が負けると非常に喜ぶ枡席が見えたりする。それは前時代の横綱達とはやはり違う空気感が感じられる。
何故だろう?
私から見ると、何故そこまで憎悪されるのかが、ピンと来ない。
国技でも伝統の象徴でもなく、単なる格闘技としての視点で見てしまう私には、とても強くて巧い相撲取りに見えるし、横綱が強いということは、むしろ良いことなのではないか?と思ったりするのだが。
そこで私なりに類推するに…
ウチの家族、特に高年齢であればあるほど、格闘技はプロレスと区別がつきにくく、総合格闘技とプロレス、K-1、ボクシングなどに至っては、全て同じジャンルとして脳内で認識される。
そして、日本人vs日本人の試合に何の意義も見いだせていないのだ。
これは本当に驚くほど、日本人と日本人が戦うことに対し、何の感情も、興奮も無い。
翻って、日本人vs外国人になると、明らかに感情が動いている。
そして日本人が負けると素直に悔しがるのだ。
つまり格闘技におけるドラマの方程式、というのが認識の中で確固たる位置を占め、そして全くブレないほど固定化されている。
それはいつ固定化されたのか?戦争中か、あるいは戦後の力道山かは私にはわからないが、明確にそれはあるのである。
果たしてその源流は、戦前~戦中の村社会意識の中で刷り込まれたのか、あるいは違う要因なのか…
とにかく外人に対する日本人の、あまりにも見事な差別意識が影響しているのか、面白いサンプルケースだとは思う>相撲。
逆の意味では…
かつてあった若貴ブーム。
あれも古き日本文化の象徴といえるかも?
いわゆる、先代若乃花・貴乃花の血筋であればこそ、あそこまでブームになったのか、と。
ブームを押し上げる要因として、日本的な、高い血統カリスマへの信仰心が一助になったのでは?とも思えてくる。
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