信長革新・s1最上家リプレイ。その14。包囲網の罠。
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-698.html
話は西方。
城井谷では島津と大友がマジ激突。
立花宗茂が城の防御を破壊したところへ島津の援軍が到着。一気に形勢が逆転する。
一時は隅本まで占領するほどの勢力を誇った大友家も残り兵27000。
いよいよ島津に飲み込まれそう。
今回ばかりは島津じゃなくて大友が九州王になるかと思ったんだがねぇ…。
あっ!織田領宇多津を長宗我部が占拠してる!
長宗我部にやられるとか、どんだけ…織田もヤキがまわったな…。
そんな中、最上軍。
山陰を爆走兄弟レッツ&ゴーし、本州最西端を目の前にして山口、吉田郡山の同時攻めを目論む。
島津と織田が争う瀬戸内海を避け、裏側を電撃戦していった我が家はそのどん詰まりで侵攻を反転!瀬戸内海側へ雪崩れ込む目論見である!
ここまで対決がなかった島津とついに直接対決。
残念ながら吉田の方は織田湯築城攻めに行った部隊が早々に戻ってきたので、断念して下関へ兵を進めたら、攻めたら、もれなく金銀パールならぬ軍馬36万頭と鉄砲19万丁が!笑いが止まらないw
島津恐るるに足らず!所詮は九州の井の中の蛙!と、大友との激戦の疲弊が回復しきっていない北九州へ上陸、一気に村田城まで進軍する!
ここで大友から同盟要請。
今、大友に横から突っかかれてもちょっと鬱陶しいので、承諾する。
大友椿35歳を義時にあてがう、兄・義光w
1595年秋。
義光、関東管領を名乗る。
その実績からすれば、多少遅きに失した感があるが、名実ともに関東王(正確に言えば関東No.2…)である!
家督を継いだばかりの義光には初の大きな叙勲。有頂天で九州侵攻を進めようと張り切っていたところに…
二度目の最上家包囲網発生。
下関に島津20000艦隊→わざと上陸させて陸で迎撃する。九州の本多、家康隊を向かわせる。
輪島に本願寺70000→最上義・義時の北陸方面軍が対処に当たる。
…はずだったが、どうも旗色が悪い。坊主ども、人材は悪くない上に70000も兵をため込んでいた。がめついぜ!
北陸方面軍はいわば二軍の人材なので、対処しきれない。
そこで白羽の矢が立ったのは小谷で隠居生活を送っていた真田昌幸その人。
長年一緒に戦った先代当主義守と暴れん坊将軍義輝に先立たれ、息子達も一軍を率いる将として経験を積んで独り立ちしたのを見届けると、各地を転戦した軍団を解散し、のんびりと琵琶湖で釣りや鷹狩りでもしていたのだが…どうも雲行きが怪しいことを知る。
そこへ義光から要請が。輪島を助けてやって欲しい、と。
お館様のお指図なれば、断ることなどできますまい。
昌幸は勇躍輪島へと馬を走らせた。
これでなんとかなる…昌幸ならば、と義光のみならず、家中全員が安心したのも束の間、これが更なる混乱を巻き起こそうとは、ほとんど誰も予想してはいなかった。
昌幸、慣れ親しんだ鎧を纏い、能登の先にある陣中へ向かう。
敵は坊主70000、相手にとって不足無し!
送り出す小谷の部下も、昌幸殿なら!と期待をもって見送ったのだが…
その直後、彼らに戦慄が走る!
「一乗谷の織田軍が敦賀港へ進軍」
凍り付く一同。
昌幸が輪島に旅だったのを見計らうように織田40000が敦賀へ進軍開始!
そうなのである。
輪島の北陸方面軍が二軍戦力なら、織田防衛隊はそれ以下!到底40000の織田本軍など受けきれない!
それが可能に思えたのは、小谷にあの常勝軍師がいてくれたがゆえ、である。
半ばパニックになる敦賀港!
主力は全員西にいる!
もうどうしようもないので近隣の武将をかき集める。
指揮を執るのは観音寺城主北条氏政、相馬盛胤らである。
一方北陸。
織田立つ!の報は移動中の昌幸にも知らされたが、今となっては引き返すことも愚策だ。
なにより輪島ではもう戦いが始まっており、案の定形勢は不利。
誰かが流れを変えない限り、最上軍は日本海に追い落とされる。
ようやく着陣した昌幸、既に一度本願寺に部隊を壊滅させられた義時らへの挨拶もそこそこに、すぐさま全戦へ出る!
なんとかギリギリ、前線は最上義、服部らによって維持されていた。間に合った。
本願寺の数の暴力と、なかなか発動できない戦法戦術に手を焼いていた北陸方面軍だが、そこに火牛計・同士討の計略コンボが木霊する!
前線を突破し、輪島港に取り付こうとしていた顕如隊がガクッ!とその数を減らす!
「昌幸が来た!」
本願寺も走る動揺。
そこから戦場の空気は一変するのである。
絶望の戦場、敦賀では。
身を挺して織田軍の総攻撃を防ごうとする北条氏政ら、急造敦賀防衛軍。
しかし、織田軍の本気攻撃の前には為す術がなかった。
敦賀港、城門を破られる!
氏政らは、小西隊ら三部隊を壊滅させるも、信長ユニットが強すぎる!福島正則が攻めに守りに鬼の強さを見せつけてくる!
抵抗虚しく、敦賀は織田の手に落ちる…
いや!虚しくはなかった!
氏政、相馬らの奮戦によって時間が稼げた我が軍は、精鋭を転戦させる時間を得て、畿内周辺から幸村、景勝、樋口隊が敦賀へ参陣出来た。
いくら信長とて、防御を失い、立て直す暇がない港湾施設で守り通すのは至難の業である。
こうして敦賀は奪還。結局は事なきを得た…とも言えないか。
港に残された傷兵は敵味方合わせて50000、味方武将の負傷者は十数人を数え、尋常ならざる爪痕を信長から被ったのは間違いなかった。
北陸。
形勢を徐々に盛り返した輪島軍は本願寺を撤退の判断に追い込む。
追撃を試みる部隊には、やめておけ、との昌幸の指示で、暴発する部下もなく整然と輪島へと撤退する。
一応の終結を見た本願寺織田の北陸攻勢だったが、その余韻も収まらぬ中、義光は決断する。
全軍を北陸に集め、一乗谷へと向かわせる。
両側を山に挟まれた城塞都市、一乗谷を包囲すると、家康の秘術、水攻めが発動!
一気に難攻不落の城を落城へと追い込む。
北陸最大の織田拠点は水没し、その機能を失った。
残すは御崎御坊だが…
仁科、九鬼…確認する度に城主が変わる。
どうも我が軍が城に取り付く前に逃げていったらしい。逃亡名人信長は既に姫路いる、と草から情報が入る。
そんな城であれば落とすのは容易い。
大量に抱えてしまった織田の捕虜が、季節ごとにポロポロ逃げ出す。しかし皮肉なことに、逃げ出す度に織田の赤字がどんどん大きくなる(笑)
織田の本城はもはや二つしか残っていない。泥船が沈む寸前だ。
島津が山口を攻めるとアナウンスがあったが、ここは無視。
全力で御崎御坊攻める!
御崎落城。
こうして北陸から織田は完全に排除された。
落とした瞬間に、門司、下関、九州の各地へ武将移動。
島津へ対処する。
山口侵攻部隊を壊滅せしめ、吉田郡山まで追撃戦をして城を落とす。
島津恐るるに足らず!と鬨の声を上げようとしたら、今度は九州村田が攻められる。
急ぎ転進!
村田、城井谷を対処した思ったら今度は下関へ20000の艦隊が!
忙しい!島津の一人最上家包囲網!
そんな時、村田へ援軍に向かう政宗が、久留米あたりで家久と偶然遭遇戦になってしまう。
狙って、ではないところが、忙しさに目が回っていた証拠かもしれない。
相手も油断していたか?捕縛に成功し、村田城にて処断。
そうこうしていると、今度は鳥取城が目標になる!
どこの島津の部隊かと思いきや、なんと姫路の織田!Σ(゚Д゚;エーッ!!
まだ闘志は萎えていないのか!?、北陸であれだけ散々痛めつけたのに…
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-698.html
話は西方。
城井谷では島津と大友がマジ激突。
立花宗茂が城の防御を破壊したところへ島津の援軍が到着。一気に形勢が逆転する。
一時は隅本まで占領するほどの勢力を誇った大友家も残り兵27000。
いよいよ島津に飲み込まれそう。
今回ばかりは島津じゃなくて大友が九州王になるかと思ったんだがねぇ…。
あっ!織田領宇多津を長宗我部が占拠してる!
長宗我部にやられるとか、どんだけ…織田もヤキがまわったな…。
そんな中、最上軍。
山陰を爆走兄弟レッツ&ゴーし、本州最西端を目の前にして山口、吉田郡山の同時攻めを目論む。
島津と織田が争う瀬戸内海を避け、裏側を電撃戦していった我が家はそのどん詰まりで侵攻を反転!瀬戸内海側へ雪崩れ込む目論見である!
ここまで対決がなかった島津とついに直接対決。
残念ながら吉田の方は織田湯築城攻めに行った部隊が早々に戻ってきたので、断念して下関へ兵を進めたら、攻めたら、もれなく金銀パールならぬ軍馬36万頭と鉄砲19万丁が!笑いが止まらないw
島津恐るるに足らず!所詮は九州の井の中の蛙!と、大友との激戦の疲弊が回復しきっていない北九州へ上陸、一気に村田城まで進軍する!
ここで大友から同盟要請。
今、大友に横から突っかかれてもちょっと鬱陶しいので、承諾する。
大友椿35歳を義時にあてがう、兄・義光w
1595年秋。
義光、関東管領を名乗る。
その実績からすれば、多少遅きに失した感があるが、名実ともに関東王(正確に言えば関東No.2…)である!
家督を継いだばかりの義光には初の大きな叙勲。有頂天で九州侵攻を進めようと張り切っていたところに…
二度目の最上家包囲網発生。
下関に島津20000艦隊→わざと上陸させて陸で迎撃する。九州の本多、家康隊を向かわせる。
輪島に本願寺70000→最上義・義時の北陸方面軍が対処に当たる。
…はずだったが、どうも旗色が悪い。坊主ども、人材は悪くない上に70000も兵をため込んでいた。がめついぜ!
北陸方面軍はいわば二軍の人材なので、対処しきれない。
そこで白羽の矢が立ったのは小谷で隠居生活を送っていた真田昌幸その人。
長年一緒に戦った先代当主義守と暴れん坊将軍義輝に先立たれ、息子達も一軍を率いる将として経験を積んで独り立ちしたのを見届けると、各地を転戦した軍団を解散し、のんびりと琵琶湖で釣りや鷹狩りでもしていたのだが…どうも雲行きが怪しいことを知る。
そこへ義光から要請が。輪島を助けてやって欲しい、と。
お館様のお指図なれば、断ることなどできますまい。
昌幸は勇躍輪島へと馬を走らせた。
これでなんとかなる…昌幸ならば、と義光のみならず、家中全員が安心したのも束の間、これが更なる混乱を巻き起こそうとは、ほとんど誰も予想してはいなかった。
昌幸、慣れ親しんだ鎧を纏い、能登の先にある陣中へ向かう。
敵は坊主70000、相手にとって不足無し!
送り出す小谷の部下も、昌幸殿なら!と期待をもって見送ったのだが…
その直後、彼らに戦慄が走る!
「一乗谷の織田軍が敦賀港へ進軍」
凍り付く一同。
昌幸が輪島に旅だったのを見計らうように織田40000が敦賀へ進軍開始!
そうなのである。
輪島の北陸方面軍が二軍戦力なら、織田防衛隊はそれ以下!到底40000の織田本軍など受けきれない!
それが可能に思えたのは、小谷にあの常勝軍師がいてくれたがゆえ、である。
半ばパニックになる敦賀港!
主力は全員西にいる!
もうどうしようもないので近隣の武将をかき集める。
指揮を執るのは観音寺城主北条氏政、相馬盛胤らである。
一方北陸。
織田立つ!の報は移動中の昌幸にも知らされたが、今となっては引き返すことも愚策だ。
なにより輪島ではもう戦いが始まっており、案の定形勢は不利。
誰かが流れを変えない限り、最上軍は日本海に追い落とされる。
ようやく着陣した昌幸、既に一度本願寺に部隊を壊滅させられた義時らへの挨拶もそこそこに、すぐさま全戦へ出る!
なんとかギリギリ、前線は最上義、服部らによって維持されていた。間に合った。
本願寺の数の暴力と、なかなか発動できない戦法戦術に手を焼いていた北陸方面軍だが、そこに火牛計・同士討の計略コンボが木霊する!
前線を突破し、輪島港に取り付こうとしていた顕如隊がガクッ!とその数を減らす!
「昌幸が来た!」
本願寺も走る動揺。
そこから戦場の空気は一変するのである。
絶望の戦場、敦賀では。
身を挺して織田軍の総攻撃を防ごうとする北条氏政ら、急造敦賀防衛軍。
しかし、織田軍の本気攻撃の前には為す術がなかった。
敦賀港、城門を破られる!
氏政らは、小西隊ら三部隊を壊滅させるも、信長ユニットが強すぎる!福島正則が攻めに守りに鬼の強さを見せつけてくる!
抵抗虚しく、敦賀は織田の手に落ちる…
いや!虚しくはなかった!
氏政、相馬らの奮戦によって時間が稼げた我が軍は、精鋭を転戦させる時間を得て、畿内周辺から幸村、景勝、樋口隊が敦賀へ参陣出来た。
いくら信長とて、防御を失い、立て直す暇がない港湾施設で守り通すのは至難の業である。
こうして敦賀は奪還。結局は事なきを得た…とも言えないか。
港に残された傷兵は敵味方合わせて50000、味方武将の負傷者は十数人を数え、尋常ならざる爪痕を信長から被ったのは間違いなかった。
北陸。
形勢を徐々に盛り返した輪島軍は本願寺を撤退の判断に追い込む。
追撃を試みる部隊には、やめておけ、との昌幸の指示で、暴発する部下もなく整然と輪島へと撤退する。
一応の終結を見た本願寺織田の北陸攻勢だったが、その余韻も収まらぬ中、義光は決断する。
全軍を北陸に集め、一乗谷へと向かわせる。
両側を山に挟まれた城塞都市、一乗谷を包囲すると、家康の秘術、水攻めが発動!
一気に難攻不落の城を落城へと追い込む。
北陸最大の織田拠点は水没し、その機能を失った。
残すは御崎御坊だが…
仁科、九鬼…確認する度に城主が変わる。
どうも我が軍が城に取り付く前に逃げていったらしい。逃亡名人信長は既に姫路いる、と草から情報が入る。
そんな城であれば落とすのは容易い。
大量に抱えてしまった織田の捕虜が、季節ごとにポロポロ逃げ出す。しかし皮肉なことに、逃げ出す度に織田の赤字がどんどん大きくなる(笑)
織田の本城はもはや二つしか残っていない。泥船が沈む寸前だ。
島津が山口を攻めるとアナウンスがあったが、ここは無視。
全力で御崎御坊攻める!
御崎落城。
こうして北陸から織田は完全に排除された。
落とした瞬間に、門司、下関、九州の各地へ武将移動。
島津へ対処する。
山口侵攻部隊を壊滅せしめ、吉田郡山まで追撃戦をして城を落とす。
島津恐るるに足らず!と鬨の声を上げようとしたら、今度は九州村田が攻められる。
急ぎ転進!
村田、城井谷を対処した思ったら今度は下関へ20000の艦隊が!
忙しい!島津の一人最上家包囲網!
そんな時、村田へ援軍に向かう政宗が、久留米あたりで家久と偶然遭遇戦になってしまう。
狙って、ではないところが、忙しさに目が回っていた証拠かもしれない。
相手も油断していたか?捕縛に成功し、村田城にて処断。
そうこうしていると、今度は鳥取城が目標になる!
どこの島津の部隊かと思いきや、なんと姫路の織田!Σ(゚Д゚;エーッ!!
まだ闘志は萎えていないのか!?、北陸であれだけ散々痛めつけたのに…
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