信長革新・s1最上家リプレイ。その15。鳥取で桶狭間!?
前回。
http://nervousbreakdown.blog77.fc2.com/blog-entry-705.html
既に滅亡寸前の信長なのに氷の判断力で我が軍の穴を突いてくる。
鳥取城は10000しか兵がいないのだ。
しまった!と思ったが、我が軍の中核部隊は西にいる。そこからの転戦では間に合わないかもしれない。
そこで義光考える。
ここは儂が行くしか!
止める本多親子を振り切り、23000の兵を持って鳥取城救援に向かう義光だったが、これがあんなことになろうとは…
最速で鳥取城に着いたのは、信長と信包隊、そして義光隊しかいなかった。
島津も、我が軍配下の精鋭達もいない、信長と義光のマッチアップが鳥取で起こるとは…
包囲網の罠か。
信長隊は上手く、信包と義光の間に割って入り、弱い部隊からの各個撃破を許さない。
対信長であれば、こちらの戦法は通じず、かといって通常攻撃でガンガン減らせるほど甘くない。
城の防御はジリジリへっていくが、信長隊の兵数もジリジリとしか減らない。
これは…落とされる!
覚悟した義光だったが、それはそれ、裸城となったらこちらから逆に攻勢をかけてやればよい、と目論んでいた。
案の定城は落ちた。
しかしここからは儂のターン!…と思っていたのに、思い通りに行かない!
それは死の深志城でも経験した信長パターンの発動だった。
頑強な福島隊を城の全面に置き、信長自身は遊兵として奇襲を盛んにかける。その奇襲が成功すると、部隊は混乱し士気がグッと下がり、戦闘能力が著しく低下してしまうのだ。
しかもうまいこと背面を山に押しつけられ、撤退も出来ないポジションに追い込まれる。この用兵は巧みすぎる!
こんなところで儂は今川義元になるのか!?
義光最大のピンチ!
城を一つ島津にくれてでも忠勝隊を連れてくるべきだった…。
死に際の走馬燈状態の主君をほっといて、奮戦する勝頼と信繁。壊滅必至の流れ、士気メーターの色がだんだん赤くなりながらも驚異的な粘りで持ちこたえる!
そしてようやく!
長く、異様に長く感じた時を越えて、本多隊を先頭に我が軍の精鋭達が救援に来た…
た、助かった…
織田軍に捕縛される寸前で、義光、なんとか救出される。
死ぬかと思った…。
なに?福則を捕らえたとな!?
検分じゃ、ここに引っ立てぃ!
縄をかけられ義光と重臣達の前へ連れ出される正則。だがその眼光は、未だ戦場にあり。
「・・・・・・・」
何か陳腐な言葉をかけるのも無粋と言うべきか。北陸、敦賀、鳥取…。いずれの戦いでも、お主の勇猛さを鮮烈に思い出される。勝った時、負けた時、追いつめられた時…。
義光、無言にて、検分の場を去る。
福島正則、処断。
一方下関。
40000の島津艦隊が襲う。
対処に当たる幸村隊と景勝隊は騎馬アタックコンボ発動専用の戦法選択。
安宅船に鉄砲と大筒を積んでくる島津には、港防御で勝ち目がない、と見て、防衛を放棄。
陸に上がったところを仕留める算段。
予定通り島津進軍、ロクに兵もいない港を落とす。
フフフ…さて騎馬アタックの餌食になって貰うか!と思ったら、なんが兵がガンガン減る!うは!大筒痛ぇ!
こりゃ早めに全員陸に揚げて対処せな!と戦略的後退。
敵の数が多かろうと、闘志さえ溜まってしまえばこの二門の人間大砲・幸村&景勝は強力!
島津の騎馬鉄砲を粉々に粉砕する!
しかし、島津も城郭内に鉄砲隊を配置するため、港の兵が尽きる→安宅船で海上へ逃げる鉄砲隊→弓では話にならないので港から全退去→島津軍再占拠→騎馬アタック…を2,3回ループする。
ようやく尾張が見えた頃に、島津義久隊の奇襲が決まる!
ヤバい!士気下がる!
超絶騎馬コンボの戦法選択で鼓舞を取ってこなかった失敗!この部隊には士気を上げる手だてがないのだ!
山口館にも駐留武将はいない!
士気が下がりきるか、殲滅が早いかの競争になる!
信長のように何回も奇襲をかけてこられたら、士気低下で景勝隊消散すらあり得る!
しかし、そこはさすがに港湾施設。いったん闘志が溜まりきれば、幸村隊の騎馬コンボでごっそり兵を持って行ける!
勝利!下関会戦で島津に勝った我が軍はほぼ瀬戸内海の制海権を握ることが確定的になった。
…いや、でも逆に言えば、あそこで幸村隊の戦法を封じられれば危なかったかも…。
思い返せば薄氷の勝利であった。
そして北陸。
対島津艦隊戦に将を割けなかったのは、(兵と馬が近場で揃わなかったというのもあるが)このためでもある。
地獄の北陸戦線、最後の戦いである。
残る拠点は七尾城のみ。
織田の遺産たる北陸の兵と馬を惜しみなく使い、
新司令真田昌幸率いる輪島北陸方面軍も、出せるだけ惜しみなく出陣させる!
もうこの後に敵はない!
あるのは目の前の勝利のみ。
坊主どもを皆殺しだーッ!!!!
都合10万10部隊で、七尾を攻める!
正面で浅井長政隊と対峙する樋口隊が後方から斉射の被害を受けるも、家康の治療が1000単位で回復させる!
義光、本願寺顕如隊と全面決戦!
義光と家康の同士討計略攻撃が炸裂!どんどん兵を削り、顕如を討ち取る!大戦果!
すると本願寺の当主に蒲生氏郷が就任!?、坊主が後継者じゃないのかっ!?
が…本願寺改め蒲生家、ここに潰える。
生存時間約1分w
1598年ようやく、よーやく、北陸から反抗勢力が消え、東日本は完全に我が家の支配下に入る。
して西方に目を向けると…あれ?27000まで兵数を減らして滅亡寸前だった大友が、九州の西半分を制圧してる!
これは思いがけない展開。
山口会戦・下関会戦で島津を打ち破ったことが予想以上のダメージを追わせてしまったのかしら?
次の目標が決まる。
大友の拡張を封じ、来るべき同盟期限切れ後の九州圏戦に向けて準備する、である。
そして長く北陸を防衛してきた北陸防衛軍団の解団式。
よくやった義守、義、昌幸よ。褒美を取らすぞ。うむ、来るしゅうない。
しかし北陸戦はほんとに長かった…。
織田と膠着状態の睨み合いになっても、ここだけは定期的に延々とぶつかり合いが続いてた。
今となっては何もかも…いやいや!まだ振り返るには早い。あと一踏ん張りだ!

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既に滅亡寸前の信長なのに氷の判断力で我が軍の穴を突いてくる。
鳥取城は10000しか兵がいないのだ。
しまった!と思ったが、我が軍の中核部隊は西にいる。そこからの転戦では間に合わないかもしれない。
そこで義光考える。
ここは儂が行くしか!
止める本多親子を振り切り、23000の兵を持って鳥取城救援に向かう義光だったが、これがあんなことになろうとは…
最速で鳥取城に着いたのは、信長と信包隊、そして義光隊しかいなかった。
島津も、我が軍配下の精鋭達もいない、信長と義光のマッチアップが鳥取で起こるとは…
包囲網の罠か。
信長隊は上手く、信包と義光の間に割って入り、弱い部隊からの各個撃破を許さない。
対信長であれば、こちらの戦法は通じず、かといって通常攻撃でガンガン減らせるほど甘くない。
城の防御はジリジリへっていくが、信長隊の兵数もジリジリとしか減らない。
これは…落とされる!
覚悟した義光だったが、それはそれ、裸城となったらこちらから逆に攻勢をかけてやればよい、と目論んでいた。
案の定城は落ちた。
しかしここからは儂のターン!…と思っていたのに、思い通りに行かない!
それは死の深志城でも経験した信長パターンの発動だった。
頑強な福島隊を城の全面に置き、信長自身は遊兵として奇襲を盛んにかける。その奇襲が成功すると、部隊は混乱し士気がグッと下がり、戦闘能力が著しく低下してしまうのだ。
しかもうまいこと背面を山に押しつけられ、撤退も出来ないポジションに追い込まれる。この用兵は巧みすぎる!
こんなところで儂は今川義元になるのか!?
義光最大のピンチ!
城を一つ島津にくれてでも忠勝隊を連れてくるべきだった…。
死に際の走馬燈状態の主君をほっといて、奮戦する勝頼と信繁。壊滅必至の流れ、士気メーターの色がだんだん赤くなりながらも驚異的な粘りで持ちこたえる!
そしてようやく!
長く、異様に長く感じた時を越えて、本多隊を先頭に我が軍の精鋭達が救援に来た…
た、助かった…
織田軍に捕縛される寸前で、義光、なんとか救出される。
死ぬかと思った…。
なに?福則を捕らえたとな!?
検分じゃ、ここに引っ立てぃ!
縄をかけられ義光と重臣達の前へ連れ出される正則。だがその眼光は、未だ戦場にあり。
「・・・・・・・」
何か陳腐な言葉をかけるのも無粋と言うべきか。北陸、敦賀、鳥取…。いずれの戦いでも、お主の勇猛さを鮮烈に思い出される。勝った時、負けた時、追いつめられた時…。
義光、無言にて、検分の場を去る。
福島正則、処断。
一方下関。
40000の島津艦隊が襲う。
対処に当たる幸村隊と景勝隊は騎馬アタックコンボ発動専用の戦法選択。
安宅船に鉄砲と大筒を積んでくる島津には、港防御で勝ち目がない、と見て、防衛を放棄。
陸に上がったところを仕留める算段。
予定通り島津進軍、ロクに兵もいない港を落とす。
フフフ…さて騎馬アタックの餌食になって貰うか!と思ったら、なんが兵がガンガン減る!うは!大筒痛ぇ!
こりゃ早めに全員陸に揚げて対処せな!と戦略的後退。
敵の数が多かろうと、闘志さえ溜まってしまえばこの二門の人間大砲・幸村&景勝は強力!
島津の騎馬鉄砲を粉々に粉砕する!
しかし、島津も城郭内に鉄砲隊を配置するため、港の兵が尽きる→安宅船で海上へ逃げる鉄砲隊→弓では話にならないので港から全退去→島津軍再占拠→騎馬アタック…を2,3回ループする。
ようやく尾張が見えた頃に、島津義久隊の奇襲が決まる!
ヤバい!士気下がる!
超絶騎馬コンボの戦法選択で鼓舞を取ってこなかった失敗!この部隊には士気を上げる手だてがないのだ!
山口館にも駐留武将はいない!
士気が下がりきるか、殲滅が早いかの競争になる!
信長のように何回も奇襲をかけてこられたら、士気低下で景勝隊消散すらあり得る!
しかし、そこはさすがに港湾施設。いったん闘志が溜まりきれば、幸村隊の騎馬コンボでごっそり兵を持って行ける!
勝利!下関会戦で島津に勝った我が軍はほぼ瀬戸内海の制海権を握ることが確定的になった。
…いや、でも逆に言えば、あそこで幸村隊の戦法を封じられれば危なかったかも…。
思い返せば薄氷の勝利であった。
そして北陸。
対島津艦隊戦に将を割けなかったのは、(兵と馬が近場で揃わなかったというのもあるが)このためでもある。
地獄の北陸戦線、最後の戦いである。
残る拠点は七尾城のみ。
織田の遺産たる北陸の兵と馬を惜しみなく使い、
新司令真田昌幸率いる輪島北陸方面軍も、出せるだけ惜しみなく出陣させる!
もうこの後に敵はない!
あるのは目の前の勝利のみ。
坊主どもを皆殺しだーッ!!!!
都合10万10部隊で、七尾を攻める!
正面で浅井長政隊と対峙する樋口隊が後方から斉射の被害を受けるも、家康の治療が1000単位で回復させる!
義光、本願寺顕如隊と全面決戦!
義光と家康の同士討計略攻撃が炸裂!どんどん兵を削り、顕如を討ち取る!大戦果!
すると本願寺の当主に蒲生氏郷が就任!?、坊主が後継者じゃないのかっ!?
が…本願寺改め蒲生家、ここに潰える。
生存時間約1分w
1598年ようやく、よーやく、北陸から反抗勢力が消え、東日本は完全に我が家の支配下に入る。
して西方に目を向けると…あれ?27000まで兵数を減らして滅亡寸前だった大友が、九州の西半分を制圧してる!
これは思いがけない展開。
山口会戦・下関会戦で島津を打ち破ったことが予想以上のダメージを追わせてしまったのかしら?
次の目標が決まる。
大友の拡張を封じ、来るべき同盟期限切れ後の九州圏戦に向けて準備する、である。
そして長く北陸を防衛してきた北陸防衛軍団の解団式。
よくやった義守、義、昌幸よ。褒美を取らすぞ。うむ、来るしゅうない。
しかし北陸戦はほんとに長かった…。
織田と膠着状態の睨み合いになっても、ここだけは定期的に延々とぶつかり合いが続いてた。
今となっては何もかも…いやいや!まだ振り返るには早い。あと一踏ん張りだ!

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